降霊の箱庭 ~第十二話~
<前話>
さらに次の日の午後。
空はよく晴れ渡っていた。米野中学校にも等しく、五月の爽やかな風と太陽は降り注いでいた。
傍から見れば、そこに見えない暗雲が立ち込めていることなど全く分からない。せいぜい中学校近くに住む人が、最近静かだな、何かあったのかなと首を傾げる程度だ。
二階西側の職員室以外、人の気配のない敷地内。
その真下、職員玄関の扉が開かれた。
「十三時きっかりだね」
内側から開けたのは、神山。
そして外に立っていたのは、制服姿の達季・蓮・まどかの三人だった。
「もう一度、念を押させてもらおう」
神山は真剣な顔で言った。
「一時間だけ、だ。それを過ぎたら迎えに行かせてもらうし、応じないようなら問答無用で他の先生を呼ぶ。代わりにその時間内なら、何が起きてもアタシは干渉しない。いいね?」
同じく真剣な面持ちで、三人は首肯した。
「それじゃあ……」
頑張って、の「が」の字に口を開きかけて、結局神山は閉じた。
職員室から一番離れたルートを辿っていく。
足音には注意を払っているが、それでも空っぽの校舎にはどうしても響く。ここで他の教師に見付かっては意味がないのだ。静かにゆっくりと、しかし心持ち急いで、三人は歩く。
向かうは四階、空き教室。
達季たちは今日、決着を付ける。
手筈を整えたのはまどかだった。
前日、文美とゆうから話を聞き終えた後。まどかは学校に電話を掛けて神山とコンタクトを取った。
「電話を受けた別の先生には不審がられたがね。図書委員のことでどうしても相談したいことがある、と言ったら代わってもらえたよ。やはり持つべきは信頼と肩書きだね」
そして応答した神山に、まどかは自分の電話番号を伝え、SMSを通して秘密裡に打ち合わせを行った。
曰く。
明日、『こっくりさん事件』の根本を断つ。
四階空き教室に立ち入ることを許可してほしい。
さらにこっそりと、自分たちを職員玄関から迎え入れてほしい。
神山は当然反対してきたが、だからといってもうどうしようもなかった。
学校の連絡網でこそ回ってこないものの、原因不明の高熱や事故で病院送りになった者が複数名いるらしい。この情報を仕入れてきたのは蓮だ。広い交友関係の賜物である。
学校は当然開いていないし、部活動も休止中。つまり彼らを呪ったのは、自宅でこっくりさんを行った者ということになる。
ついに学校外にまでもその脅威が及び始めた。
今この瞬間も、誰かが呪い呪われている。
霊能者でも呼んでお祓いをすべき状況。しかし学校とは、こういったスピリチュアルなことに懐疑的なものだ。たとえ生徒に隠れてであっても、わざわざそんなものを公的に呼び付けたりなどしないだろう。
ならば。
最も真相に近付いている自分たちこそが、この状況を打破すべきだ。
結局、一時間以内という制限付きで、神山は三人の提案を許可した。
「…………」
空き教室が近付いてくる。
ぎゅ、と握り締める達季の手には、汗が滲んでいた。
怖い。何が起こるか分からない。死ぬかもしれない。
恐怖。緊張。しかし同時に使命感もあった。
――ここで、止めないと。
蓮とまどかも同じようだった。
それぞれ用意した「道具」を手に、三人はとうとう空き教室の前に立つ。
まずは入口を封鎖しているテープを綺麗に剝がさねば、と思ったところで。
はらり、と。
後ろ側の入口のテープが全て、ひとりでに剥がれ落ちた。
カラカラ、と僅かに扉が開く。
「……お~。全自動とはありがてぇ」
引き攣った笑みの蓮が、無理に軽口を叩いた。
先陣を切り、教室に足を踏み入れる蓮。次いで達季。最後にまどかが入った瞬間、その後ろで扉がまたひとりでに閉まった。
バン!! と大きな音。
慌てて手を掛けるが、扉はもうピクリとも動かなかった。
賽は投げられた。
こっくりさんか達季たち、どちらかが斃れるまで、この箱庭は開かない。
「……一並君」
まどかが促す。
達季は覚悟を決めると、教室中央辺りの手近な席に近付き、腰を下ろした。
机の上に持ってきた物を広げる。
白い紙と十円玉だ。紙にはひらがなの五十音と、数字と、「はい」「いいえ」の文字が書かれ、さらに上部には赤い鳥居。最早言うまでもない、こっくりさんと交信するための道具だった。
蓮とまどかは席に着かず、適当な位置で準備を整える。
すぅ、と深呼吸。
そして達季は、十円玉の上に右手人差し指を乗せた。
「この学校に居座ったこっくりさんを呼び出し、今度こそ完全に帰ってもらう。それしかもう、この事態を鎮める方法はない。そしてその役目は一並君が適任だろう」
前日の打ち合わせで、まどかは言った。
「二つの理由からだね。一つは、君がどうやら霊媒体質であること」
「霊媒、体質?」
「そう。霊的なものを寄せ、取り憑かれやすい体質。入りやすい器ということだよ」
「…………」
「しかも君と『彼』の魂……生き方や考え方はおそらくとても似通っていて、だからこそ共鳴して、夢という形で『彼』の過去を垣間見たんだ。引きずり込まれる可能性はあるが、逆にいえば向こうをこちらに引きずり出す力にもなり得る」
「僕に、そんな力が……」
「他には、呪いのシステムを鑑みてだね。
全く勘違いしていたよ。私は関という生徒が依頼したことで、こっくりさんに呪詛の性質が付与されたのだと思っていたが、それは違う。最初からだ。最初からこの学校のこっくりさんには、人の負の感情に反応する性質が備わっていたんだよ。
怨みの相手を示してやれば、こっくりさんはターゲットに呪いをかける。上島文美と鈴木ゆうもそれぞれ同じく、市川奈々絵に負の感情を抱いていた。だからそれをこっくりさんは汲み取って、市川を殺したんだろう」
「ま、待ってください。では何故、呪った側の上島さんと鈴木さんにも、呪いが降りかかったんですか?」
「簡単なことだよ。彼女らは市川を怨んでいる自分自身をも、怨んでいたんだ。自己嫌悪というやつだね。つまり自分で自分を呪うような形になって、結果はあの通りだよ」
「そんな……」
「そして遠回りになってしまったが、これが君が適任である理由のもう一つだよ。一並君は素直で裏表がなくて、純粋で、嘘がつけない人間だ。それに転校してきて間もないから、この学校の誰かに対して負の感情を抱いている可能性が低い。こっくりさんの性質の影響を受けにくい人間ということだね。もちろん、学校外に怨みの相手がいるなら前提が狂ってくるけれど」
「いえ……。割垣先輩と、倉闇先輩は?」
「割垣君はダメだよ、我が強すぎて霊媒に向いていない。私もダメだよ……自他共に、怨みの念が強すぎる」
「…………」
僕が、この学校を救う。
僕が、この呪いを断ち切る。
達季は恐怖を押し込めて、唱えた。
こっくりさん、こっくりさん。
どうぞおいでください。
十円玉は速やかに、『はい』へと動いた。
途端に大きな音を立てて、教室の隅の掃除用具入れが開いた。
ぞ、とその中から溢れ出す冷気。
「……!」
視線を感じた。
鉄製のロッカーの中に、顔が真っ白で、目と口をぽっかり大きく開けたニンゲンが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているのが見えた。と思うや否や、
がたがたがたがたがたがたがたがた!!
箒を、バケツを、そして机と椅子を蹴散らしながら一直線に、ソレがこちらに向かって四つん這いで突進してきた。
「ひっ!!」
反射的に顔をそらし、目を閉じる。同時に「ずるん」という嫌な感覚と共に、自分とソレの輪郭が溶け合うのが分かった。
目を開ける。見えている景色こそ変わらないが、頭をぐわんぐわんと振られるような眩暈がして、自分の中を流れる血液が氷水のように冷えていた。
――憑依された!
直感した。
「達季! しっかりしろ!」
蓮の声に、達季はどうにか己を保ち、問い掛けた。
「こっくりさん、こっくりさん。あなたは『古栗俊一さん』ですか?」
いつの間にか鳥居のところに戻っていた十円玉。それはぶるりと一つ震え、ゆっくりと『はい』へ動いた。
奇妙な感覚だ。自分はただ指を添えているだけなのに、内側のソレが十円玉に念じるので、結局達季が達季の意思で動かしているような状態になる。
「……っ、鳥居の位置までお戻りください」
これは想像以上にマズい。少しでも気を抜けば、体も心も持っていかれそうだ。
「こっくりさん。いえ、『古栗さん』」
十円玉に、あるいは自分の内側に、問う。
「この学校から……、」
その時。
ガッ、と両足首を掴まれた。
「!?」
見る。床から生えた赤い手が達季の足首を掴み、ギリギリと締め上げていた。
爪が食い込む。血流が止まる。骨や筋肉ごと握り潰そうかというその力に、達季の喉から苦痛の呻きが漏れる。
「この……っ!」
それを見たまどかが駆け寄ってきて、床の手に何かを押し当てた。
蹄鉄だ。
常温のはずの蹄鉄はジュッと音を立てて焼き付き、赤い手はたまらずもがいて達季の足首を離した。
まどかが言っていた。蹄鉄ないし鉄には、魔除けの力があると。
ヨーロッパでは悪魔や魔女を退け、幸運を呼び込むアイテムなのだという。それを直接押し付けられようものなら、下手な怪異は散らされること間違いなしだ。
助かったと思ったのも束の間、今度は廊下側と外に面した側、全ての窓という窓に無数の赤い手形が付いた。
ばんばんばんばん!! と四方八方から鳴る音に、鼓膜が震える。
さらに、
『何をしテいるッ!!』
耳元で何者かに叫ばれ、達季の心臓は跳ね上がった。
いつの間にか右方に立っていたのは、長谷川……いや「長谷川だった肉塊」。ぐちゃぐちゃに叩き潰された上半身の、その中でも特に損壊のひどい頭部から、「長谷川」は大音声を無理矢理発していた。
『校則違反はヤめろ! 指ヲ離しなサい!』
そして達季に向かって、血まみれの手を伸ばしてくる。
「おらぁっ!」
飛んできた蓮が、横合いから強烈な蹴りを叩き込んだ。血と脳漿をぶちまけながら吹き飛ぶ「長谷川」。
「あ、あ、あ……」
みるみるうちに教室を、自分の周囲を蝕んでいく怪異。
呑まれそうになる心を奮い立たせ、達季は改めて語り掛けた。
「古栗さん。あなたに何があったか、夢を通して見せてもらいました。苦しかったですよね。悲しかったですよね。だからこそこんなふうに、関係ない人にまで同じ思いをさせちゃいけません。怨みを抱いて、ずっとここに自分を縛り付けて……その方がよほど苦しいはずです!」
『う る さい』
十円玉が動いた。
今度はガクンと髪を引っ張られた。
真上を向いた達季の顔に、焦点の合わない眼差しの女子生徒が覆い被さってくる。
『間宮くぅン』
がぱっ、と開いたその口から、血反吐で潰れた声が発された。
『ダイスキだいすきだいすキだいすきだいすきダイスきだいすきすきすきスキスキスキスキスきスキスキスキ』
「一並君!」
まどかの声と共に、達季の髪は解放される。次いで蓮がまた怪異を蹴り飛ばしたようだった。
「そうか……そういうことか……!」
視界の端に映るまどかがハッとして言った。
「古栗は、こっくりさんの犠牲者を取り込んでいたんだ! だから学校中に影響を与えるほどの力を……ぐっ!?」
言葉が途切れる。
しゃがみ込むまどか。心臓の辺りを押さえて苦しそうにしている。
「委員長! どれだ!」
まどかが持ち込んだ鞄の中を、蓮が慌てて探る。
「じ……十字架……」
「受け取れ!」
投げて寄越された十字架のネックレスは、計算したかのようにまどかの胸元に飛んでいった。途端にその顔色が戻る。
大きく口の開いた鞄には、ナザール・ボンジュウと呼ばれる青い目の御守りや、何枚もの御札、ローズマリーの枝に密教の金剛杵などがぎっしり詰められていた。まどかの祖父が集めている骨董品の中で、破邪退魔の効果があるとされるものを、宗教も新旧もごちゃ混ぜで持ってきたものだ。
付け焼き刃。それでもないよりはマシだ。
「古栗さん! もうやめてください!」
達季を庇い、なけなしの手段で戦う蓮とまどか。
「呪いを止めてください! 大切な人を、神山先生を悲しませたいんですか!?」
達季は必死で呼び掛け続ける。
「お願いします! どうか、もう、呪わないでください!」
<次話>