降霊の箱庭 ~第九話~
<前話>
ガシャァン!! という大きな音が体育館の方から聞こえてきたのは、達季がちょうど四時間目の授業を受けている時だった。
次いで、大勢のざわめきや悲鳴が、かすかに。
「何だ?」
隣の席の間宮颯志はじめ、音に気付いた何人もが窓の外に目をやる。
授業をしていた英語担当の教師は、様子を確認するため教室から出ていき、しばしの後に深刻そうな表情で戻ってきた。
「皆さん。急ですが、本日の授業は四時間目で終わりです」
えっ、と数名から声が上がる。
「給食の時間は設けますが、昼休みを帰りのHRに変更して、そのまま下校となります。もちろん部活動も中止です。宿題や、学校全体の今後については、また本部が連絡を回すそうです」
それと……としばし言葉に迷う素振りをしてから、教師は。
「……体育館には、決して近付かないように」
四時間目の授業は、生徒も教師も集中できないまま終わった。
授業中、町の向こうから何台分ものサイレンが近付いてきては、その音が中学校の敷地内で止まった。警察・救急どちらも来ているようだ。
その後は皆、心ここにあらずといった状態で給食をかき込んだ。学校給食センターから既に運ばれてきているものを、流石に食べないわけにはいかない。机の下で「何か急に早く帰ることになったから」と、スマートフォンで親宛てにメッセージを送っている者もいた。
「……ねぇ」
担任教師のいない、給食の時間。
女子生徒の一人が立ち上がり、別のクラスメイトの席に向かった。
上島文美の席だ。
「生徒指導部の長谷川、落ちてきた照明に潰されて死んだんだってさ。『こっくりさんの呪いじゃないか』って、三年生で大騒ぎになってるらしいよ」
彼女は文美の前に立ちはだかり、三年生の先輩とのやり取りがなされていたらしいメッセージアプリの画面を見せ付けて、言う。
「こっくりさんで死んだの、これで三人目だよ。市川は自業自得だとしてもさ。とにかくアンタらが余計なことしたせいで、学校中みんな迷惑してるんですけど。どう責任取るつもり?」
「…………」
普段から硬かった文美の表情は、恫喝を受けてさっと白くなった。
教室中の視線が彼女に向けられている。
「……ごめんなさい」
やがて文美は小さく謝罪したが、対する女子生徒の怒りは収まらなかった。
「謝って済むと思ってんの? 死んでるんだよ? 他人を殺したって意識ある?」
何人かの他のクラスメイトが、その言葉にそうだそうだと頷く。
「ていうか一番卑怯なの、鈴木ゆうだよね。ずっと休んで逃げててさ。アイツ家から引っ張り出してきて、アンタと二人して、全校生徒の前で土下座しなよ」
「ゆ、ゆうは関係ない!」
と、そこで文美が慌てて顔を上げた。
「ゆうはこっくりさんをすることに反対してた。怖がってた。無理に参加させたのは私と奈々絵だから、あの子は巻き込まないで!」
「巻き込まないで、って何!? こっちが悪いことしてるみたいじゃん!!」
火に油だった。
ガン! と女子生徒が机を蹴り付け、文美がハッと縮こまる。
「こっくりさん使って自殺すればぁ?」
「あのウザい長谷川を殺してくれてありがと~」
女子生徒の取り巻きが、関係ないお調子者の男子が、背後から囃し立てる。
一年五組の空気は今や完全に、魔女狩りの様相を呈していた。
達季はその混沌の坩堝と化した光景を、ただじっと見ていた。
見ることしかできなかった。心臓がドクンドクンと痛いほど騒ぎ、冷たい汗が頬を伝った。
初めて空き教室でこっくりさんを行ったのが、市川奈々絵・上島文美・鈴木ゆうの三人であると、一連の会話を聞いて確信を持てた。不確定要素が一つ潰れたのはいいことだが、しかしこんな残酷な形で知りたくはなかった。
――助けないと。
最近生徒たちを取り巻いていた、不安と恐怖。こうして「元凶」が槍玉に挙げられたことで、それら不安と恐怖は怒りに変化し、無数の礫となって文美に降り注いでいた。
――助けないと。
心では分かっている。
でもどうやって?
何よりこの中で文美を庇えば、自分にまでその礫が飛んでくるのは確実だ。
――……怖い。
騒動を止められず、かといって目をそらすこともできず、達季はただ震えながら息を殺していた。
「もう、やめろ!」
その時。達季の目の前で立ち上がったのは、間宮だった。
喧騒に包まれていた教室が一気に静かになる。
「一人をいじめて楽しいか? 死んだ奴を悪く言って楽しいか? 分かりやすくターゲットができたからって、イライラをぶつけんなよ!」
清廉潔白で品行方正な彼は、やはりこの場でも正義の体現者だった。
臆することのないその強さに、達季は感動すら覚える。
「それに……俺は信じてないけど、もし本当に呪いなんてものがあるなら、ちょうどこういう『悪意』から生まれるんじゃないのか? わざわざ自分たちで混乱の原因作ってどうすんだよ!」
それはどこまでも正しい考えだった。
騒動に乗じるか、見て見ぬフリをしていた生徒たちは、ばつが悪そうに次々と目をそらした。
「……なっ、べ、別にいじめてなんかないし」
事の発端である女子生徒は、流石に威勢を削がれたようだが、しかしそれでも間宮に向き直って反論してきた。
「あと、市川が悪いのは事実だよ! 真っ先に死んだのも、呪いが自分に返ってきたんじゃないの?」
「だからそういうのやめろって」
「間宮君も関係あるんだからね!」
まだ言うかと呆れる間宮に対して。
女子生徒は衝撃の事実を口走った。
「市川はね。自分が間宮君のこと好きだからって、ライバルの女子に無差別に嫌がらせしてたの!」
……クラス全員、呆気にとられた。
えっ、何言って、と戸惑う間宮の顔が、かあっと赤く染まる。
「言っとくけど嘘じゃないからね。上履きに落書きされたり、『間宮君に色目使うな』って手紙を机に入れられたりした子、このクラスに何人もいるよ。何より、」
女子生徒は。
目に涙を浮かべ、うつむいた。
「何より……う、ウチだって、嫌がらせ受けた中の一人なんだから……!」
がたん、と。
文美が席から立ち上がり、教室から走り出ていった。
その瞬間、達季の呪縛は解けた。
「待ってください!」
今度は自分が教室中の視線を集めるのを感じながら、達季は思い切って文美の後を追った。
廊下を走る。階段を駆け下りる。文美の足は決して速いわけではないが、残念ながら達季も運動神経ゼロなので、追い付くのには苦労した。
「はーっ……ま、待って……!」
息を切らしながらようやく捕まえる。間宮のようなヒーロー然とした姿とは程遠いものがある。
「……何?」
同じく息の荒い文美は、警戒と怯えが入り混じった目で達季を見た。
「どうして一並君が? 私を捕まえてこいって言われたの?」
「違います。ただ……その、放っておけなくて」
事実だ。深く傷付いたであろう文美を、追いかけずにはいられなかった。だが同時に打算的な部分があったのもまた事実。
「実は僕、『こっくりさん事件』について、図書委員の先輩方と調査してるんです」
「……どういうこと?」
期を見て発せられた達季の告白に、文美の警戒色が濃くなる。
「もちろん、勝手にあれこれ動いていたのは謝ります。でも真剣ですよ。本当にこの一連の事件の真相が知りたくて、調べているんです」
ようやく捕まえた事件の当事者を、離したくない。
きっと誰より不安と責任を感じている文美を、このまま孤独にしたくない。
必死で適切な言葉を選びながら、達季は。
「もちろん上島さんに断る権利はあります。それでももし、嫌じゃなければ……僕たちの調査に、協力していただけませんか?」
「…………」
文美は、ふいと目をそらす。
「調査したところでどうやって解決するつもり? まさか一並君、霊能力者とか?」
「いえ、違いますが……」
「じゃあ解決しようがないよ。霊能力も何もないなら、あんな……あんな本物の怪奇現象に立ち向かうなんて不可能。軽く考えすぎ」
「そうかもしれませんが、えっと、その、うぅ」
「もし私が一並君の立場だったら、転校してきて数日の学校とクラスメイトに、そこまで思い入れなんて持てない。人が良すぎるんじゃない? それに、その図書委員の先輩たちの顔も私は知らないし、いきなり言われてはいそうですかって信じる方が難しいよ」
困った。冷静さを取り戻した文美は思った以上に賢くて、認識の隙を突かれた達季は、しどろもどろになるしかなかった。
こんな時、まどかがいれば心強いのに。
「……フッ。ごめんごめん、意地悪だった」
と、突然緊迫した空気が途切れた。
再びこちらを向く文美。彼女はほんの僅かに、笑っていた。
「真意が見たくてね。『僕には霊能力があります』『あなたを助けるビジョンがあります』とか言われてたら、逆に断ってた」
そして「いいよ」と続ける。
「正直今は、どんなことにだって縋りたい。嘘もついてなさそうだし、ひとまず信用するよ。一並君はそもそも嘘が下手そうだけど」
事実だった。素直さも大概にしないといつか詐欺師に騙されるぞ、などと両親にからかわれたこともある達季。恥ずかしいやら情けないやらだが、どうにか文美の心を開くことができたようだ。
「あと、ありがとね」
彼女は言った。
「理由が何であれ、話し掛けてくれて嬉しい。程々に期待させてね」
<次話>