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江戸鎮守 神田明神へ新春詣で ~私の包丁祭りとふいご祭り~
本格的に始動した正月明け。
例年のように、江戸総鎮守神田明神(2030年に創建1300年)へ新春詣でに行きました。と言っても、人混みを避けて三年ぶりのことです。
〇久しぶりの新春詣で
商売繁昌の神様とあって、企業などから会社員らしき人達が商売繁昌の熊手を担ぐ姿に出会いました。
きっと会社から言われて参拝した人、年始だから習慣で来た人、出店で楽しむ人、等々いろいろでしょう。
いつもの私なら習慣で来た、と言います。
ですが、今年は私自身の祈願への向き合い方が異なり、参拝客を見る目も違いました。
戦争のない平和な日常を願う顔、健康や病気回復を願う顔、商売に切羽詰まってすがるように祈願する顔、等々が多く見て感じ取れました。
長い列に並ぶと、一般祈願の順番が回ってきました。
中が見える賽銭箱にはちらほらお札が混じっています。
私は、と言えば最近キャッシュレスが多いので小銭を持ち歩いていませんでした。
こんな時に限って小銭がない。もしかして一万円札?出す?
バックの小袋から、何とか少々の小銭を見つけてお賽銭に。
正直いつもなら、個人的なお願い事をして帰るところですが、今年は
戦争がなくコロナも収束して皆が安心して暮らせますように、そして全体の経済が回って給料が上がり、暮らしやすくなりますように、と大きく深呼吸をして願いました。
参拝の列から抜け出すと、賽銭額が少なかった後ろめたさとは反して、なんだか「今年はまあまあ良い一年になると思える」ような気がしてきたのです。
理由はないけれど。
〇神田明神の包丁儀式に昔の思いを馳せて
神田明神では、福神祭りのひとつとして、例年1月中旬の日曜日に「四條流包丁儀式」が神社境内で行われます。今年も15日が予定されているとのこと。
包丁儀式は日本王朝時代の厳粛な儀式、古典の文化生活に出てくるらしいのです。私は全く古典には弱いのですが。
こうした包丁儀式は古い時代から行われていて、家人が客を招き主人が歓迎する意味で、主人自ら包丁を手にとって包丁ぶりを見せるというのです。
儀式で切った材料はおかかえの料理人に調理させ、客にご馳走したというのですから風流優雅な古代ロマンを感じますね。
近年になっても地域や飲食店によっては、略式に形を変えて行われていると言われています。
私にとっての包丁式は、包丁を始め調理器具に感謝するという、そんな思いがあります。
また、11月には「ふいご祭り」と言って、鍛冶屋や鋳物師など広く火を使う職人のために、ふいごを清め火を使うことの感謝や安全祈願も行われています。
近年は、千代田区岩本町の金山神社に神田明神から神主を招いて、ふいご祭りを行っているそうです。
「ふいご」というのは、最近はあまり見聞きしませんが、炭などの燃料を高温で燃焼させるために空気を送り込む装置のことです。
その昔、小さいものは家庭の火おこしにあったと云われています。大きいものは専門分野で金属の精錬に使われていたようです。
神田明神付近は、かつて鍛冶屋が多く金属で栄え、鍛冶町とか金物通りとかの名称が現在も残っています。
神田あたりの行事で、包丁祭りやふいご祭りが行われる所以ですね。
数年前、神田明神の包丁式を見に行きましたが、混雑して近くで見ることができず、カメラのレンズ越しに覗いた苦い思い出があります。
後から、報道映像などでゆっくり見るのも方法ですね。
本年も、包丁と火入れに感謝しつつ安心・安全に使えますようにと・・・・
![](https://assets.st-note.com/img/1673531366993-1Tmej1rYDu.jpg?width=1200)
病院勤務の若い頃、厨房では、包丁・まな板祭りを行っていた記憶があります。昭和の時代ですが、年配のベテラン調理師長が包丁祭と称して丸の魚をさばいて包丁に感謝します。
また、ふいご祭りはボイラー祭りでもあります。ボイラーが安全に運転できるように、火の神に病院施設として祈願するというものでした。
今では、時間的にも衛生的にも考えられない懐かしい思い出です。
さて、我が家でも、新年に当たり包丁を研ぎ、まな板を消毒・漂白し、電熱機器やガス機器などの加熱機器に感謝して「今年もまた料理に励みます」と心新たにしました。
そして、怪我のないように、楽しく面白くおいしいものが作れますようにと。
〇厄払いのない年齢の頃になって
神田明神参拝の際、厄払いも必要かなと思い参道入り口の「前厄・本厄・後厄の生まれ年一覧表」を見てみました。
その年齢の頃の私は「心身共に気を付ける年齢なのよ」との忠告と受け止めて日常生活に注意してきたと思います。
今の私はとっくに最後の厄年が過ぎていて、厄払いの必要もない年齢らしいのです。嬉しくもあり寂しくもあり。
年配者の厄払いに効く考え方を、92歳まで生きた大叔母(新潟出身)から聞いたことがあります。気に入っているので参考まで。
① 覚えが悪くなった → いやなものを覚えなくても済むんじゃからありがたいのお
② すぐ忘れる → 忘れたほうがいいもんもあるさ
③ 見えにくくなった → 見ない方がいいもんは見えない方がいいんだよ
④ 聞こえも悪くなったなあ → 聞きたくないことを聞かなくて済むんだから、結構なことじゃないか
⑤ 遠くに出かけられなくなったなあ → 近くにこそきれいな花も美味しいものもあるもんじゃ
⑥ 味も良く感じないし飲み込みも悪くなった → これだけはいやだなあ、美味しいもんをたらふく食べたいもんじゃから
色々考え方はあるけれど、食べる機能は落ちませんように!
明神さんで定番の交通安全のお守りを買い、道中、神田界隈のロマンに馳せながら散策して帰宅しました。
本日も最後までありがとうございました。