ゲーミフィケーションの科学~ゲーミフィケーションって何だ?
心理学を日常生活で応用する方法としてゲーミフィケーションというものがある。
ゲーミフィケーションとは、ゲームではない文脈で、ゲーム要素やゲームデザインの技術を用いること。
と定義されている。今回はゲーミフィケーション領域における課題感と対策について整理する。
0.ゲーミフィケーションの原点は動機付けの科学
まず前提の大枠として、ゲーミフィケーション云々の前に、ゲーミフィケーションの全体像について整理したい。図にするとこんな感じ。
ゲーミフィケーションの定義が、「ゲームの要素をゲーム以外の領域で応用すること」ではあるのだが、ゲームのジャンルをゲーミフィケーションと捉えてしまいがちであるため、ゲーミフィケーション自体が何なのかがごちゃ混ぜになる。
ゲーム自体は、動機付けの心理学を応用して生まれたものである。ドッジボールからポケモンまで様々なゲームがあるが、すべて根っこにあるのは動機付けの心理学である。
例えば、なぜドッジボールが楽しいかといえば、「チームプレイ」だったり、「身体を動かすこと」「試合に勝つこと」などが挙げられるだろう。これは動機付けの理論で言えば、達成感が感じられたり、試合展開が自分の五感を通してフィードバックとして返ってくるからだ。
ゲームは動機付け理論で説明することができて、ゲームに応用されている要素を抽出し、ゲーム以外の領域で応用することがゲーミフィケーションである。
なので「ゲーミフィケーション」と「ゲーミフィケーションの要素」は別で考える必要がある。
なので例えば「フォートナイト」は共闘型のゲーミフィケーション要素を持っている。
という文脈も正しいし「フォートナイト」は共闘型のゲームのジャンルという言い方も正しい。
ただ、「フォートナイトのようなゲーミフィケーションは~」
というと少し不自然である。フォートナイトはゲームであり、ゲーミフィケーションされたものではない。
「Aのサービスには、フォートナイトで用いられているゲーミフィケーションの要素がある」
であれば自然な文脈だ。
なぜ、こんなめんどくさいことを言っているのかと言えば、ゲーミフィケーションに対する認知が曖昧過ぎて、同じ話をしているはずなのに、何かズレを感じることがあるからだ。これはゲーミフィケーションという言葉の認知が人によって微妙に異なっているからではないだろうか。
世間的な認知としては、ゲームに用いられている要素を、日常生活に応用することをゲーミフィケーションと認知している傾向が強い。
しかし、これはゲーミフィケーションではなく、ゲーミフィケーションの要素であるので、ここに認知の違いが生じている。
1.ゲーミフィケーションはゲームを作ることではないため、心理的理解が必要
上に説明したように、ゲーミフィケーションはゲームでない文脈でゲーム要素やゲームデザインの技術を用いることである。
なのでゲーム制作と異なり、ゲーミフィケーションは「ゲームを作ること」ではない。ゲーミフィケーションのシステムを作ることと、ゲームの制作は別物だと認識している。
というのも、コンシューマーゲームやスマホゲームは内発的動機、外発的動機などをとりわけ気にせずに作ることができる。ステージをクリアしたら報酬を与える仕組みがあったり、レベルが上がったり、魚や虫を捕まえてお金を稼いだり、競争できたり、タイムアタックがあったり。
こういった要素があれば、楽しくゲームをプレーできる。だが、現実はそうではない。
例えば、無報酬で行っていた作業に対し、報酬を与えられてしまうことで、創造性が低下したり、無償でやっていたことに対して急にお金が発生することで、モチベーションの低下、創造性の低下なども起きることがわかっている。アンダーマイニング効果と呼ばれるもので、始めに持っていた内発的動機づけが、物質的な外的報酬を与えることによって低下することをいう。
また、もし企業がゲーミフィケーションを導入しようとすると、そこに評価をする設計を入れたくなるかもしれない。しかしそうなると、ゲームとは違い、自分は評価をされているんだ、という認識が生まれてしまうので、純粋にゲームを楽しめない可能性も出てくる。
さらに、従業員は、自分たちの生産性を高めるためにゲーミフィケーションを導入したのだ、という認識をすることもあるだろう。2021年にナミュール大学などの研究チームによって行われた研究(1)では、ゲーミフィケーションの導入に抵抗感があると、ゲーミフィケーションの効果が得られないどころか逆効果となる研究結果も報告されている。
ゲーミフィケーション、つまりゲームの要素や技術をゲーム以外の場面で用いようとする時には、人間の心理特性の理解が欠かせないといえる。
ゲームを続けてもらうことや、内発的動機を引き出すためには、単にゲーム化するだけではうまくいかない可能性が高いのだ。
2.同じゲームはずっとやらない
ゲーミフィケーションを導入しようと考えたときに、設計者はたくさん頭を悩ませ、やっとの思いで完成させる。だが、ユーザーはそのゲームをずっと続けてはくれない。これはどんなに設計がうまくいっても。
ゲーミフィケーション研究においても同様に、実際にゲーミフィケーションを用いて効果が出たという例はたくさんあるが、この効果が長続きするのか、持続するのかという点においてはまだ研究されていない(もし見つけた方は教えてください!)
運動をゲーム化したと言われている、リングフィットアドベンチャーですら、1年以上続けているユーザーはごくわずかという話を聴いた。
それもそうだ。どんなに楽しいゲームでもずっとは続けない。大乱闘スマッシュブラザーズも、どうぶつの森も、ポケモンも、ハードが変われば新作を買って続けることはあるだろうが、ずっと10年もダイヤモンドパールをやり続ける人はいない(だから皆、DPリメイクを待っているのだ。)
同じゲームを続けないというのは、飽きるからだ。刺激が単調になるからだ。脳からドーパミンが放出されなくなる、とも言えるだろう。だから新しいコンボが自分で発見できたり、工夫できる人ほど続けられるのだ。
また、スマホゲームにおいてはここが最後の砦となる。飽きさせないためにアップデートを続けたり、期間限定イベントを開催したり、コラボを企画する。
この、「ずっと同じゲームはやらない心理」を理解しないと、どれだけ素晴らしいゲーム・ゲーミフィケーションが完成しても続けてもらえなければ、とってももったいない。子どもであってもずっと同じゲームはしない。何かしらルールを変えたり、新しい遊びに興味を持つようになる。
対策としては、やはりアップデート、追加機能や期間限定イベントなどだろう。期間限定という「希少性」の心理に働きかけることもできる。
だからこそ、ゲーミフィケーションは「完成させて終わり」にすることができない。
※短期的で良い場合は高い効果が得られる。例えばこんな感じ。ちなみにこの図に当てはめて説明するとUberEatsのような仕組みは左上の枠だけに寄っているが、短期的で十分なのでシステムが回る。
3.ゲーミフィケーションは手段であって目的でない。
ゲーミフィケーションによって、ユーザーのモチベーション・エンゲージメント、生産性の向上、学習効率の向上、従業員の幸福感、楽しさ、満足感の向上など、様々なメリットが挙げられる。
だが、これらを向上するための方法は世の中にはたくさんある。ビジネスの文脈なら1on1でも可能であり、エンゲージメントを高めたいなら、衛生要因と内発的動機を高める工夫や制度を導入すればよい。
ゲーミフィケーションはあくまでもこれらを向上させるための手段であって目的ではないので、必ずしもゲーミフィケーションである必要性はなかったりする。進捗を可視化し、前に進んでいる感覚があれば、ゲーミフィケーションでなくても良いのだ。
だが、論点はそこではない。
人には感情がある。モチベーションが上がる時も、上がらない時もある。体調が悪い時も、頭が働かない時もある。そんな時は捗らないこともあるだろう。
「仕事にモチベーションなど関係ない。働かなければお金が稼げない。ただそれだけだ。」
というツイートも見かけたことがある。
だが、そうではない。
感情があるからこそ、毎日が楽しく、生きがいを持って働けることということが大切なのではないのだろうか。
そのためにゲーミフィケーションの要素を用いて自分でタスクを管理したり楽しくなる仕組み、効率的になる仕組みを考えることで、毎日にちょっとした刺激が生まれるのではないだろうか。
4.ゲーミフィケーションは設計が難しい
一番上の図のゲーミフィケーションの部分において、図では説明しなかった部分を説明すると、ゲーミフィケーションが難しいのは、ゲーミフィケーションの要素を活かしてゲーム化することが最も難しい。
・ゲーム化した上で、続けてもらい、ゲーム化する前とあとでどんな変化があったのかを測定する必要があり、
・一度ゲーム化して終わりではなく、続けてもらうためにゲームも変化・進化させ続けなくてはならない。
自分のためのゲーミフィケーションであれば測定する必要はないかもしれないが、ゲーミフィケーションの要素が良いのは可視化できることだ。自分のやってきたことが可視化しにくい現代社会において、可視化されることは大きなモチベーションになる。
海外のゲーミフィケーションに関する記事にこんな言葉があった。
ゲーミフィケーションすることにおいて、最初の失敗を恐れてはならない(※ただし、すぐに失敗する)
この素晴らしいユーモアは的を得ている。はじめからうまく設計できるものではなく、少しずつ改良していくこと。ユーザーの目的を理解し、作業方法を理解し、ユーザーのタイプや特性を理解すること。
と書いてあったが、ここにj基になっている心理学的要素を加えていくことで、その成功率を高めることができるのではないだろうか。
5.子どもや若い世代は、ゲーミフィケーションが上手なのか問題
よくゲーミフィケーションについて話していると、「子どもはゲーミフィケーションが上手」「子どもの頃は何でもゲーミフィケーションしていた」という話題になることがよくある。
確かに、私も児童館でアルバイトしていた時には、すぐにゲーム化することは得意だなと感じた。その一方で、設計が雑すぎるということももちろんあった。難易度が高すぎる無理ゲーだったり、ルールが曖昧だったり。
子どものゲーミフィケーションにおいて、彼らが追及しているのは「楽しさ」の指標のみなのではないだろうか。
この「楽しさ」を追及することは大人よりも得意な傾向にあると思う。しかし、大人がゲーミフィケーションするのが下手か、と言えばそうともいえない。大人になると、追及すべき指標が増えたり、ゲーム化することで長期的な目的を達成するために用いるような使い方をするだろう。
つまり、子どもとゲーミフィケーションの使い方が全く違う
※ただし、「楽しさ」については子供から学べ!
という結論になる。
6.大人ほどゲーミフィケーションをしない理由
大人になると、子供のころより様々な人生経験が増える。失敗をしたり、成功をしたり。それによって「価値観」が形成されていく。
Twitterの発言に影響されるかもしれないし、学校や社会の優秀な人の意見に流されるかもしれない。
そうやってたくさんの経験を得て形成された「価値観」の中に、
「仕事≠楽しいもの」
という価値観が形成されたとしよう。若い世代にも多いだろうし、40代、50代のマジョリティほどその傾向は高くなっていく。
仕事が楽しいものでない、という価値観を持っていれば、当然のことながら、
「仕事にゲーミフィケーションを用いて、楽しくしよう」
という発想は生まれない。だが、
「仕事が楽しかったらいいのにな」
「仕事が楽しくなる方法はないのかな」
と考えている人においては、仕事にゲーミフィケーションを用いるという発想が生まれる可能性がある。なので、仕事への価値観が
・仕事は仕事。楽しい必要はない。
・ゲーム化しても楽しくない。私はゲームとかもともと好きじゃないし。
という人に用いたり、同意を得ていないと逆効果となることが研究でもわかっている(1)。
7.結論
ゲーミフィケーションの設計の難しさは否めない。楽しさだけならまだしも、そこに効率化を混ぜるだけで難易度は高くなる。それを成功させるためには、心理学や動機付けの理解は必須となるだろう。
そして、一度作ってみておしまい、でもなく進化させ続ける必要がある(じゃないと飽きる)し、最初は失敗することを前提に取り組めないと、「ゲーミフィケーション試してみたけど、うまくいかなかった」で終わってしまうのはもったいない。
日常が楽しくなる、モチベーションが上がる。少しの工夫で、自分の感じ方、捉え方は大きく変えられる。仕事に対するモチベーションも、ゲーミフィケーションや自己決定理論をもとに考えれば認知も変えていける。
スキを仕事にする必要はなく、仕事が好きになる工夫を。
それでは。
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