見出し画像

柔軟ではない考え方。3つの「要求」(べき思考、ねばならならない思考)

自分自身に、特にストレスを与える思考パターンがある。「~~すべきだ」「~~ねばならない」という頑固な考え方だ。それは「べき思考」もしくは「ねばならない思考」と呼ばれる。こういう言葉を頭の中で繰り返しているようだと、幸福感を持つことができなくなる可能性が高い。

以前も書いたけど、今日は論理療法(REBT)の観点から見た、べき思考・ねばならない思考粉砕法について考える。

3つの分野に注意せよ

論理療法では、人は3つの分野で、極端で、硬直した考えを持つ傾向があると説明している。自分の例に当てはめてみても、まさにそうなっているようだ。これは論理療法で言う「非合理的な思い込み」を見分ける助けになるだろう。

不愉快な気持ちを味わっている時は、3つの分野で「べき」「ねばならない」が発生していないかをチェックするのだ。

3つの分野とは、このようなものだ。

1:自分自身に対する要求 2:他人に対する要求 3:世間/人生に対する要求

論理療法の解説本を書いている岡野氏は、合理的な考え=「だといい主義」、非合理的な考え=「ねばならない主義」と呼んでいる。私は「~~したい」(Wish)は健全な考え方だが、「~~しなければならない」(Should)になると神経症的につながりかねない考え方となる。

参考:「いやな気分の整理学 論理療法のすすめ(生活人新書)」 岡野守也

「自分」に対して

よく勉強して、試験に合格「したい」と考えるのは間違ったことではない。しかし、試験に合格「しなければ」ならないと考えると、これは、硬直した思考パターンとなりる。

これに「最悪化」や「過度の一般化」が加わり、思考が歪んでいく。つまり、「私は試験に合格しなければならない。試験に落ちるなんてことがあれば、それは最悪だ。これから、生きていても良いことなど無いに違いない」のように考えてしまう可能性がある。

この思考の歪んでいるところを、論理的に考えてみると、合格「したい」と思ったとしても合格「しなければ」ならないとは言えないことに気づく。つまり、それは「食べなければならない」「眠らなければならない」「働かなければならない」という絶対的な要求とは違う次元のものなのだ。

「自分」に対する過度の「要求」は、不安、うつ状態、恥ずかしさ、罪悪感などの感情を引き起こすと言われている。

「他人」に対して

他者に過剰に要求してしまう心の傾向だ。これもWishとShouldで分けると腑に落ちるだろう。恋人に愛して「ほしい」と思うのは当然のことであり、健全な感情と言える。しかし、恋人が自分を「愛さねばならない」と考えるのは硬直した考えだ。

考えてみると、私たちは、他の人の思考も、行動も、コントロールできないのだ。「~~してほしい」と思うことはできても「~~しなければならない」と命令する権利も、従わせる力も無いのだ。「彼女は、私を、私が望むように愛さなければならない」なんて、考え始めた日には、その非合理的な考え方は、ストーカーのような偏執的な感情を生み出すものになっていく。

「他人」に対する過度の「要求」は、怒り、激怒、攻撃的な行動(暴力を含む)に発展することがあるので注意しなければならない。

「世界」に対して

そして、最後に「世界・環境」に対して「ねばならない」と考える愚を説明したい。この非合理的な考え方、自分を中心に地球が回っているという妄想ともいえる。

例えば、農夫は農作物の収穫期に天気が良ければ助かるはずだ。しかし、「台風が来るべきではない」「収穫期は晴れなければならない」と考えるのは、非合理的な考え方となる。人間の収穫期とは無関係に台風が来ることも、来ないこともあり、私たちは、自分を取り巻く周囲の状況をコントロールできないのだ。

人間は、社会にも世界にも無力だ。環境という、自分には手の届かないものがあることを認めた上で、建設的な行動をとっていくのが合理的な考え方だ。世間・人生・社会に対する過度の「要求」は、自己憐憫、苦痛、先延ばし、何らかの依存症状(逃げ)を引き起こすことがあると言われている。

非合理的な考え方を見抜くキーワード

論理療法において「非合理的な考え方」(イラショナル・ビリーフ)の概念はいくぶん複雑で理解しがたい。しかし、まずは、この3つの「ねばならない」を押さえるだけでも、非合理的な考え方の大方の部分を粉砕することができる。論理療法(REBT)の本の中には「非合理的な考え方」を、この3つのポイントだけに絞って解説しているものもある。

論理療法創始者のアルバート・エリス自身、非合理的な考え方を見分ける際に、「ねばならない」という要求のパターンを非常に重視していたようだ。

「誰もが、もっともラショナル(合理的・柔軟というような意味)なしつけを受けたとしても、すべてと言っていいほどの人間は個人的、および社会的願望を非合理にエスカレートさせて(a)自分(b)他人(c)身の回りの環境に対し絶対的な要求(absolute demand)をするものである」

論理療法を始めてから、私は自分自身にかなりの程度、硬直した考え方が根付いているのを発見した。「~~したい」と「~~ねばならない」を混同していることが分かったのだ。

「こうなってほしい」と思うことは自由だけれど、それでも、「こうならなければならない」とは言えないのだ。これは、論理療法ならではの、現実を「受容」していく態度につながるものになっている。

気づかないうちに、自分の中に非合理的な考え方が根付いていないか、定期的にチェックしなければならない

#論理療法 #REBT #ねばならない思考 #べき思考 #セルフヘルプ心理学


大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq