【考察】習慣化された行動は、全くの無ではなく少しの「気持ちよさ」が備わってるよね〜という話〜ニコマコス倫理学〜
徳を積むってつまり「小さい気持ち良さ」の連続なんだ
アリストテレス先生の名言として有名なのは
”我々自身は繰り返し行っている行動により作られる。したがって、優秀さは行動ではなく習慣によるものだ”
というものがございます。
これは人間のあるべき姿、すなわち「徳」を長年もかけて考察した、『ニコマコス倫理学』という本で出てくる言葉です。
人間は個々人がお互いに関わり合って生きていくために必要な2つの「徳」があると唱えました。
1つは、知恵や思慮、学問的知識などからなる知性的な徳
もう1つは、人間の行為や感情、日常生活全てに関わる習性的な徳
というもの。
アリストテレス先生は、物事のやりすぎや怠慢を避け「中庸(中間にあること)」を目指すべきだと言っています。
やりすぎと怠慢の中心は「習慣化」することで出来上がるものです。
なぜなら、習慣化は毎日行動することにより、パターン化されたもので、そこには
やりすぎによる視野の狭まりとか興奮とかを感じないし
当然、行動しているため怠慢とも言えません。
「無」の感情で行なっているものが習慣です。歯磨きとか風呂とかいちいち楽しいとかあんまりないですよね笑。
ただ全くの無ではなく、習慣化された行為は多少の「気持ちよさ」は感じます。
仕事のルーティンもこなすことで気持ちよくなるし
毎日同じ時間に勉学に励んだら少し達成感があるし
同じ分野の本を毎日読んでいたら色んな人に説明できます
これらは個人的にどれも気持ちいいと感じるし
パートナーを悲しませる反応はやめようと決意したり
友達といる時はウジウジしないようにすると思ったり
このプライドは大事にしようと裏切らないようにしたり
ということを忘れずに意識して行動すれば、それがその人の「軸」となり「人格」となって表れるものです。これまた気持ちがいい。
なんだか、こじつけのように感じてきましたけどつまりは
そもそも習慣化することが全くの「無」だったら達成ってできなくない?
と思ったからこんなこと書いてみました。
だって、人間はどこまでも感情の生き物です。感情を優先して、その補佐として「理性」があるわけです。カーネマン先生の『ファスト&スロー』によるとですが。
実際ルーティンをこなすことはなんだって気持ち良さを感じますし、1日を無駄にせず有意義に過ごせたな〜と思わせるものがあります。
習慣化がうまい人って、その「心地よさ」を知っている人なんじゃなかろうかと思います。