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言語リハビリを行う私の当事者研究  3回目 伝わりさえすれば、といっても

<3回目  伝わりさえすれば、といっても>

「患者さんに伝わりさえすれば」 と書きましたが、 

私が描いた絵が、「何を描いたのか」が果たして患者さんに伝わっていたのでしょうか。

患者さんに描いて示すときは、 前回書きましたが、伝わることを目的に描いています。このためか、後になってから見直すと
「! ! 下手すぎ」
(注:前回、上手・下手の範疇ではないと書きましたが、どうみても下手です)、「この絵でどうやって患者さんに伝わったの?」と思うことがしばしばあります。

再現しても、もはやクイズ並み?

その状況を思い出すと、

・・・絵だけで患者さんに伝えたのではありません。

絵を提示する際に、「はさみ」あるいは「鋏」と文字で書き示したかもしれません。

あるいは、人差し指と中指を伸ばして、身振りを示す、など絵だけではない手掛かりを提示したかもしれません。

あるいは、「布を切ろうとして、引き出しから出した」など状況を伝えことが手掛かりとなっていたのかもしれません。

この時、患者さんが受け入れていたのは「私」、それとも「下手な絵」だったのでしょうか。

「私」だとしたら、私が言ったこと でしょうか、それとも 私の個性 でしょうか。

「言ったこと」(専門用語では「音声言語刺激」といいます)とは、

例えば、声の大きさであったり、 声の高さであったり。 標準語なのか、方言交じりなのか。

上記の絵を示すときだったら、「切るんですよね、こう(身振り)するものです」と言うと思います。

闇雲に話しかけるのではなく、 失語症検査を使って評価した結果からどのくらいことばが伝わるかのか、「あたり」をつけながら話しかけます。

私の個性といっても、メインは言語リハビリの担当というくらいでしょう。後は、性別や、見た目年齢 くらいでしょうか。

私がこれまで担当してきた失語症の患者さんは、勘が鋭い方が多かったと思います。ことばが不自由なことを補うためなのか、表情や声のトーンなどを巧みに捉えて、状況を察しているのでしょう。

失語症の方の観察のことは、オリバーサックスの「妻を帽子と間違えた男」に収録されている短編にも取り上げられています。

私も失語症の方に会えば、その時は失語症の方に観察されているのだろうと思います。そして、私の個性や特徴も見出されているのかもしれません。


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