ハラスメントストッパー <看護大学での講師のバイト> 連載8回目
7.紫陽花が咲いて ⑤
この連載では、某看護大学での講義の記録をもとに書いています。テーマは「在宅での摂食嚥下障害を持つ方へのケア」でした。
記事の内容は、1年前の紫陽花が咲いていた7月初旬、講義準備中の話です。
読書メモを頼りに、講義資料を作っていました。
これまで、提示した本は、
「食べることと出すこと」(頭木弘樹)、「生きるための日本史」(安富歩)、「手紙社のイベントの作り方」(北島勲)、「弱いロボット」(岡田美智男) です。 著者の敬称は略していますが、敬意でいっぱいです。
そして、もう1冊。 講義に引用したのは、
このことも、「連携」を損なうことの裏付けになっているかもしれないと思いました。
嚥下障害を持つ方へのケアに関心があったとしても、気軽に質問すらできない。新規の情報があっても、これまでのやり方を守らなければならない「立場」。
例えば、高齢の患者さんが嚙む力が弱っていて、「ペースト状」の食事になっていても、「口の機能」を保つために義歯は有用です。しかし、この説明をしても「ペースト食を食べている人は義歯はいらない」という考えから、シフトすることが難しいことがあります。
また、当時の自分の所属科の風土としては、「出る杭は打たれる」そのものでした。大事な同僚の熱意に、先輩スタッフは威力を感じたのかもしれない。その真摯な態度が、先輩の妬みをかっていたのかもしれない。
あるいは、
先輩自身が実習や新人の時に受けた指導から、「指導」」とは「反省させること」、「後ろめたさを植え付けること」と解釈していたかもしれず、それを続けないと自分の立場を守れないと思い込んでいたのかもしれない。
いずれも、想像でしかありません。
今回、講義を準備しながら、
自分が現場で感じている問題は、形を変えてどこでも起こりうることだということに気づきました。 普遍的というのでしょうか。
たまたま「おもしろそう」と手に取った本の中に、「自分が言いたかったことが、文字化されている!」という記述を見つけたとき、「世の中、繋がっているのではないか」と思うことがしばしばありました。
(続く)