スヴェトラーノフ 1968年8月21日
ソ連およびワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻が報じられたまさにその当日、スヴェトラーノフ率いるソ連国立交響楽団は、ロンドンのプロムスに出演予定でした。共演はロストロポーヴィチ。曲はドヴォルザークのチェロ協奏曲と、ショスタコーヴィチの交響曲第10番。後半の音源を紹介します。
演奏開始前、聴衆からは激しい抗議と嘲笑が浴びせられます。前半で弾いたロストロポーヴィチは後に、人生で最も困難な演奏会だったと回想しています。しかし、演奏が始まってもなお続いていた叫び声は、やがて静まります。
スヴェトラーノフによれば、彼らにとっても寝耳に水だったこのニュースを聞いて、演奏会をどうするか、話し合ったそうです。キャンセルして帰国するか、それとも何らかの声明を出すか。しかし、自分たちは音楽家なのだから、演奏を通じて聴衆に自分たちの思いを伝えよう。そう決めて、ステージに立ったといいます。
そりゃそうでしょう。そもそも全員の意思が一致するとは限りません。そして抗議声明を出せば、自分たちが帰国できないどころか、家族にも類がおよびます。支持声明を出せば、今度はイギリスで何が起こるかわかりません。
演奏終了後、彼らはブーイングの嵐を覚悟していました。しかし、ショスタコーヴィチの演奏が終わった瞬間、ロイヤル・アルバート・ホールは怒濤のような歓声と拍手に埋めつくされます。
ロシアのウクライナ進攻後、「西側」ではロシア人音楽家への排除が起こりました。プーチンに近いと噂されるゲルギエフや、分離派支配下のドンバスで歌ったネトレプコだけではありません。ベレゾフスキーは長年音楽祭を共催してきたフランスの友人から一方的に関係を断たれました。ソヒエフは、プーチンを非難する声明を出すよう市長に迫られ、トゥールーズの音楽監督をボリショイ劇場のそれと同時に辞しました。
もちろん、ベルリン・フィルと連名で非難声明を出したペトレンコや、チェコへ事実上亡命したプレトニョフもいます。しかし、たとえ進攻を支持していなくても、それを表明できる人とできない人がいるでしょう。そもそもゲルギエフもネトレプコも、進攻を支持すると明言はしていないはずです。
あの日、ロイヤル・アルバート・ホールの聴衆はソ連を代表したオーケストラに対して、確かに厳しい政治的非難を浴びせました。しかし彼らは、音楽家たちの演奏に対しては、音楽として真摯に向き合ったのだと思います。それは、人間を外形的に頭から決めつける姿勢とは、異なるものだったのではないでしょうか。
ロシア以外の音楽を愛する人々(演奏家であれ聴き手であれ)が、せめてこのときの聴衆のようであってほしいと、切に願います。
幸い日本では、欧米に比べてロシア人音楽家の排除はそれほど目立たないように思います。亡命前のプレトニョフが東フィルを振ったとき(このときはまだロシア大使が来場していました)も、フェドセーエフがN響に客演したときも、SNS上に多少の批判はありましたが、会場は平穏でした。
もちろん早く戦争が終わることを願っていますが、戦争が終わっても、欧米では厳しい状況が続きそうな気がします。せめて日本では、音楽を音楽として聴くことができる環境が続いて欲しいと願っています。
【追記】
スヴェトラーノフとソ連国立交響楽団の、あえて針の筵に座ることを厭わなかった姿勢にも心をうたれますが、考えてみれば、演奏会を予定通り挙行したプロムスの主催者も、すごいと思います。当時もBBCだったのでしょうか。
ロシアのウクライナ進攻直後に開かれたウィーン・フィルのNY公演。予定されていたゲルギエフとマツーエフはキャンセルされ、代演が手配されましたね。
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