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失敗する権利

私には2人の子ども(娘と息子)がいるのですが、第一子を出産するため東京から広島へ里帰りしたとき、母が教えてくれたことが今でもずっと子育てのベースにあるという話。

「子どもから失敗する権利を奪わないようにね。」

そんな一言から始まって、どういうこと?と瞬時に聞き返した私に母はこう教えてくれた。

「親って、我が子には上手くいってほしくて、失敗してほしくないなと願ってしまって、失敗したら残念に感じたりする。だからできるだけ成功するように手引きしてしまったり、手助けしたくなったりするものなの。でも、子どもっていうのは『失敗』から多くを学んでいく生き物だから、大人の考えだけで子どもから失敗する権利を奪ってはだめよ。」

なるほどな……
…と確かに納得してはいたけれど、その言葉の本当の重みを知るのは数年経ってからでした。
やりたいことを好きなように「やーりーたーいーーっ!!!!!」と自我をフルに発揮する子どもを前に、その注ぎ方だとコップにお茶は入らずまわりはビッチャビチャになっちゃうぞ………と思いながらも “やらせてみる” を選択する心の余裕は即座には生まれない。見守ることの難しさ。その後の処理を思うと止めずにはいられない…。そうするよりこうした方が効率いいのになぁとか、こっちの方が上手くいくのにな~とか、園児になっても小学生になっても思うことは増えていくし、親も欲張りになっていくし。本当に「見守る」とか「手や口を出さない」って難しい。(放置しすぎてもだめだしね!)

でも実際に、命の危険がないようなことなら、失敗するとわかっていても手も口も出さずに見守る機会を増やしてみたら、たしかにすごい。失敗しても毎回凹むとは限らないし、成功するまでやってみるタフさを見せてくることもある。泣いて拗ねていじけるときもあるけど、その経験の積み重ねから負けん気とか、失敗を怖がらない強さとか、とりあえずチャレンジする精神みたいなものも培われてる気がする。痛みを伴った失敗からは危険性と安全について学ぶこともできるし、様々なことにおいて机上の空論みたいな他人事っぽい感覚じゃなくてリアルに感じ取ることもできるようになってきた気がする。悪いことばかりが起きるわけじゃないなと、子どもを通して実感することができた。

「転ばぬ先の杖」を何本も用意するのをやめるだけで、子どもって自分で考えるようになる。
人生はいいことばかり起きるわけでもないし、たとえどん底になっても人生は続くので、いろんな経験の中から自分で判断できるようになってくれるといいなと願いながら、今日もうっかり手と口を出してしまうのでした。(反省)


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