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美術館の喫茶店の皿洗い
職務経歴その2は、姉がバイトしていた美術館の中の喫茶店で、土日限定で皿洗いをした。半日立ちっぱなしで、しかも14歳だった僕が、大人の世界に入り、すごく居心地悪かったのを覚えている。
皿洗いの隣に、上げ台(できた料理に最後の仕上げをして出す場所)があって、シェフが作った大葉のパスタが出来上がり、パスタに大葉を乗せたら完成なんだけど、皿洗い身分で、そこまでやって良いのかわからずドギマギした思い出。
社長がずっとタバコ吸いながら、オーダーを流していたこと。
息子が僕と同じ歳で、頭がいいらしいこと。
現金払いですぐに渡され、とにかく早く帰りたかったこと。
シェフのお兄さんが、たまに声をかけてくれて、少し休んだら?変わってあげるよ。といってくれたこと。Hideがなくなってすぐの頃で、
「Hideちゃん死んじゃったね」と言われ、返す言葉なく、
「好きですか?切り抜きあげましょうか?」と咄嗟に出た言葉が中学生らしい。
シェフの見習いのお姉様がとても可愛らしく、後日姉に聞いたら、
「弟さんかっこいいですよね」とのこと。姉が、
「付き合ったとして中学生と付き合って何が楽しいの?」と聞いたら、
「一緒に明日いているだけで楽しいじゃないですか?」といっていたらしいとのこと。
そうなんだ。うん。残念だったような。そんな素晴らしい言葉かけられたの後にも先にもそれくらいだな。うん。
シェフがタバコ吸いながら、片手で、白米をジャーに移し替えていて衝撃だったこと。裏の厨房では何が起きているかわかりませんね。
「白米に灰が入ったらどうするんだろう」と純粋な僕は考えてた。
もどかしい。きっと色々と嫌なことがあったんだろう。
でも、生まれて初めて、でっかいトマト缶に入ったホールトマトを、手でつぶさせてもらえるという。良い経験をさせてくれた。
僕が今少しだけど料理をする原点はそこにあるかもしれないし、ないかもしれない。
皇后美智子様のような方が、1時間おきに飲み物を振る舞ってくれて、
アイスを持ってきてくれたりして、とても気を使ってくれた。
真面目だった僕は皿洗いの手を止めてアイスを食べることができず、
アイスは溶けていき、残念な思いをさせてしまった。
心が読めずごめんなさい。
姉から聞いたが、職場まで結構離れた場所に住んでいて、
毎日タクシーでこのパートに来ていたらしい。
お給料のほとんどはタクシー代になるという、よく言うお金に困らない、
趣味で働いているとはこのこと。
「美智子様みたいですね」といったら、
「…皇后陛下?」と息を呑みしばらく口を聞いてくれなくなった。
奥ゆかしい方だった。
美術館がとてもお似合いでしたよ。
「ちょっとロッカールームで座ってきていいよ」と言われ、開けた男子ロッカールームで、床に座り込み賄い食を食べていた女の人に、
「ノックをしてください」と言われ、尻込みしたのを覚えている。
と、まあ良い社会勉強になりました。今思えば毎週来てとオファーがあったんだから行けば良かった。
体力は慣れてくるだろうし、でも14歳、大人の世界が少し怖かった。
前回の記事に書きましたが、現金払いだった給料は、先に働いていた新聞配達の給料より先に入った為、母と姉にお寿司を出前した。
喜び方が大人。松竹梅の梅で許してくれありがとうね。
しかし、当時の時給700円は僕には大きかったな。
今では考えられないけど。
素敵な青春だった。