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私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。 (5)

 直属の上司に、実母のリハビリの相談を受けた私はその場で思い浮かぶもの全てを伝えた。そして、上司から見舞いに行くたびに[病院での実母の状態]や[病院スタッフの行動、発言]をメールで受け取っては、「他にでき得ることはないか」と考えた。普段、プライベートは謎が多い上司だったからこそ、その切実な想いは強く伝わって来たし、私自身、頼りにされるのが嬉しく何とか力になりと思っていた。

 上司は、絶食期間が長引いてしまっていることや「もう食べられない」と医師が判断し、このまま胃瘻(胃に穴を開けてそこから栄養を流し栄養管理していく方法)にされてしまうのではないかという焦りを感じているようだった。私も「直接会いに行って、状態を確認したい」「顔を見て、呼吸を感じて、どんなことにどんな風に反応を示してくれるのか、確認したい。」という想いが強くなっていった。その私の想いを汲んでくれ、上司は毎回動画を撮って来てくれるようになった。

 そこに写っていたのは、「どうしてそんな方法でリハビリをやっているの?」「なぜ、そこでリハビリを終えてしまうの?」と実母が受けているリハビリの不十分過ぎる様子だった。同業者として、そのスッタフが諦めているのが伝わって来た。「この感じ、胃瘻を告げられる日が近いんだ…」そう私は感じた。

 上司の家族の中で、胃瘻についての意見が分かれていたらしく、上司は「自分は口から食べられないのなら、胃に穴を開けてまで命を繋ぐのは違うと思うけれど、家族は少しでも生きていて欲しい、そのためにできる手段があるのならやるべきだと言っている。今は、まだ迷っているけれど、もし胃瘻を作るとなればこっちに連れて帰って来て、同グループの病院で診てもらうと思う」と話してくれた。

 そんなある日、会社のはからいで、休日のたびに遠方にある実家へ帰り見舞いに行き、しかも胃瘻増設の話まで上がっている状態なのならば「こっちに連れて帰ってきなさい。みんなでお母さんを診よう」ということになった。私は、「よし、これでお母さんに会える。実際に様子を見れる。実際にリハビリをできる。よし、これでお母さんに口から食べさせてあげられる。」と熱いものが込み上げた。

 万全の体制でお母様は搬送されてきた。ご挨拶に伺った際には、お声掛けに目を何度か開けてくださることもあり私の印象は思ったよりも良かった。しかし、体温が低く、指先で測定する機械にはなかなか反応を示さないなど、全身状態には暗雲が漂っていた。

 この時の私は、すべての経験を出し切ると決めた。そして、誰よりも最も冷静に、患者のお母様、そしてご家族である上司と誠心誠意向き合うと決めた。熱いものが込み上げる中に、静けさが広がっていった。


(6)へ続く…