26歳、初冬。ひそやかに嫌なことを積み重ねる
創作活動の源は私の弱い心に部分にある。
思い悩んで、どうすればいいか考えて、言葉や考えとして紡ぐ。
だから、弱っていたり、悩んでいたりする心を放置するとそれは生まれて来ず、自分の今の状況に気づけずにいてしまう。
もうずっと何かを言葉にしたかったはずなのに、正しく表現できずに今年を過ごしてしまった。最近は少し落ち着いて、考える時間ができてきたので、また書いてみようと思う。
久々に恋人ができたことで思うのは「自分」という人間について、フィードバックを得られる機会がとことん増えたということだ。
今までは自己認知の範囲内で、模索を繰り返していたけれど、それが途端にそうじゃなくなり、そして、自分をどういう人と捉え、どの方向に進んでいったらいいか分からなくなる(しかもいわゆるマイナス面ばかりが見えてしまうため、すごく疲れる)
自分としてはここ最近は「今の自分でどう勝負していくか」について考えていたのに、恋人ができたことで「嫌われないために改善しよう」というなんだか別の要素が加わってしまったことで、思考が落ち着かなくなってしまった。
また私の思考のはじまりは常に他者にある。他人を見て、他人の声を聞いて、自分に照らし合わせて考える。
その思考のはじまりを得る機会は但馬へ越してきて、途端に少なくなってしまった。それは今の職場や人間関係が影響していて。他にも映画を見なくなった、など得られる情報の少なさも影響しているだろう。
そしてこの一年、そういった自分の思考やそれに付随する「弱さ」は否定されることも少なくなかった。
結果、私は自分の表現方法を見失ったのだと思う。
他にも思うことは色々とあった。本当はこの人が苦手だと思っていても、言葉にできなかったり、そして距離を置くことができなかったり。それを誤魔化すように「嫌いじゃないです」「面白いですよね」と言ってみたり。
本当は嫌だったり、苦手だったりしたのに。
嫌なことは嫌だと言えば、友達を失ったり。
できないこともできますと言ってみて、どうにか役に立てないかと模索したり。その結果できないじゃんと信頼を失ったり。
どうしても話を盛る癖が抜けなかったり。
自分をよく見せよう、そうじゃないとこんな但馬という全然知らない土地で、居場所がなくなる、とずっと不安だった。嫌だと思っても笑ってやり過ごした。
でもそんなことは誰にも言えなかったし、言える人はいなかった。今もいない。だって私の弱さはきっとまた否定されるから。
だから私は自分の弱さを起点に思考することをやめてしまったのだろう。
一方、ストレス発散に買い物をしたり、映画を見たり、カフェに行ったりしたいと思っていても、この街にはどれもない。
そういう環境で私はどうやって生きていくんだろうとずっと思っている。
転職してみて、何か変わるのだろうか?変わらないような気もしている。でも、少なくとも今の環境と距離を置けるようになることで少しは救われるような気もしている。
小さな「嫌なこと」を知らず知らずのうちに積み重ね、放出する術を失った。来年はもっと自分の弱さを言葉にしていけるだろうか?
ほんとにほんとにありがとうございます…!