認知症対応型デイサービスの役割について考える#4
まず、このnoteのイラストの感じが好きすぎて自分でもこんなイラストを書いてみたいって思う今日この頃。
今日は、認知症対応デイサービスの役割をすごく痛感したお話でもしようと思う。
なんか、簡単な症例報告になりそうだけど、まあ、色々思うことがあったわけさ。
もちろん、内容は個人を特定できるような詳細は語らないし、とある認知症の方を支える家族をみて思ったことと割り切っていただければ幸いです。
その利用者さんは、奥さんと二人暮らしでよくある老老介護という家庭だ。
その方は、怒りっぽくなっていて、徘徊をされる。もちろん家の中だけでなくしっかりご近所も徘徊される。それに対して行方不明にならないよう奥様がついていくということだ。
これに対し、選択されたサービスが認知症対応型デイサービス。
少人数で落ち着ける空間を提供し、認知症の利用者に対した適切なアセスメントとケアを提供する。まあこんな高尚なことを書いているけど、目的としては、落ち着ける空間に通っていただくことで家族の負担を軽減させることが目的である。
ただ、現実はうまくいくことばかりではなく、「いきたくない」と不穏になり、誘うにつれ徐々に怒る。迎えに行ったら怒っている。ということが多く、通所に来れない日もあるくらいだ。
そうなってくると家族もたまったもんじゃない。何度も迎えにきてもらったり、お世話になっている介護士に怒っている自分の夫をみる奥様のことを考えるとなんともいえない気持ちになる。
こういった方に対し、なんとか知恵を絞って通所に通ってもらうっていうのは認知症対応型デイサービスの役割なんじゃないかなと思っている。
意外と通所に来られてからは、徘徊はするも畑仕事などを提供すると落ち着いたりするので、要は考えようなんだと思う。
よく学生さんや、Twitterのタイムラインとかで、「私、認知症に関して勉強したいです。」っていう人をちらほらみるけど、認知症に携わるってかなりシビアだよ。
家族の苦悩は僕らが思っている以上に重たいし、自分らがみているのはほんの一部でこれを24時間みていると考えると利用者さんの家族には尊敬しかない。
自分の尊敬する父親母親が自分のことを赤の他人のように接したり、愛する夫、妻が徘徊して行方不明になったり、失禁や大暴れをするって考えると絶句ものです。
少し話は脱線したが、そういう方に対して我々ができることは、「拒否するから仕方ないね。」とすぐ諦めるのではなく、どうしたら通ってもらえるのか?とかどうしたら落ち着く空間ができるのかとかを全力で考えないとあかんのんよね。
てか仕方ないで終わらせない、しっかり考えられる事業所って勝手に利用者さんの集客ができてると思う。
人数が少ない認知症対応型デイサービスだからこそ密に関われることだし、普通の中規模のデイサービスと同じことをしてても意味ないんじゃないかって思っちゃう。
認知症の家族を支えるということはものすごく難しい。でも支えるために全力で考えられる人って本当にかっこいい人だと思うし、そのためにみんなで協力できるって素敵なことだと思う。
これこそ介護の魅力なんじゃないかって思いけり。