何かを生み出せる人に対するコンプが一生消えない
人間だれしも、何かしらにコンプレックスを抱いて生きてる。多分。それは学歴だったり、顔面だったり、家庭環境だったりするんだと思う。
かくいう私も、"何かを生み出せる人"に対してバカでかいコンプレックスを抱いて日々を生きてるわけです。
ああいう人たちってさー、何なんだろうね?呼吸するみたいに生み出すじゃん。生み出すこと自体は苦しいっていうけど、生み出すことをやめないじゃん。すごくない?まじですげえ。
しかも一番すごいなって思うのは、評価の軸が他人じゃなくて自分なこと。他人から評価されなくても、俺はこれカッコいいと思ってんのに評価しないやつらセンスないなーって本気で思ってるからね、ああいう奴らって。
例えば作品じゃなくて"人間"そのもの、さらに詳しく例えるとして"自分自身"だったら、誰が自分を選んでも選ばなくても、自分の価値は変わらない。綺麗事かもしれないけど、それは"自分自身"で、それ以上でも以下でもなく、変わりがないから。
でも、何か何処かで生み出された作品であれば、名前のある誰かが自分の作品を評価したら分かりやすく作品の価値は上がるし、誰の心も打たない誰にも評価されない作品であればそもそも価値なんてない。うんこ以下だ。
でも何かを生み出せる人は、作品の価値なんて気にもせず自分の好きなものを作り続ける。そうすることでなんやかんや人の目に触れて、磨かれていって、洗練されていく。最初は価値のある作品を生み出せていなかった人でも、段々と価値のある作品を生み出せる人になっていく。
しょーじき、何かを生み出したいって思うのは、人の心を動かせる作品を生み出せる存在になって、間接的に自分自身に対する価値を得たい、っていう邪な気持ちが一番でかい。
こういう気持ちって、純粋に何かを生み出すことが好きな人には一生勝てないんだよね。つーか、生み出せる人は勝つ負けるで物事を考えてないし。うーん、リングに上がる前に敗北!終了!解散!
世の中ほとんどの人が夢なんて叶わずに平凡に暮らしてるわけだけど、みんなどうやって特別になれなかった自分を受け入れられたのかがわからない。
私がどれだけ創作活動を頑張っても、一生誰かの心に残り続ける作品は生み出せないんだろうな。小さい頃はなんにでもなれると思ってた。大人になるといちいち限界が見えて嫌だなあ。