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佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』

富山(とみやま)は、ある事件がもとで心を閉ざし、大学を休学して海の側の街でコンビニバイトをしながら一人暮らしを始めた。バイトリーダーでネットの「歌い手」の鹿沢(かざわ)、同じラジオ好きの風変りな少女佐古田(さこだ)、ワケありの旧友永川(ながかわ)と交流するうちに、色を失った世界が蘇っていく。実在の深夜ラジオ番組を織り込み、夜の中で彷徨う若者たちの孤独と繋がりを暖かく描いた青春小説の傑作。山本周五郎賞受賞作。

新潮社より

少しずつ、自分の世界と相手の世界が重なる物語。


描写の明確さ

富山の心模様がはっきり見えるなぁと感じた。

「誰々がこう思ってる」というように、感情を文にそのまま描写するのではなく
(ほかにも「この人がこういう事をした」という事実描写や、「これはこういうことなんじゃないだろうか」などの思考を伴う感情などの描写だけでなく)、

誰しもか瞬間的に抱く感情までも、はっきり描く。

恥ずかしい。
つい、死ねといいそうになった。
やべえな。
なんでだ?

とか。
それって凄くリアルですよね。

私たちって、
瞬間的に「やば、めっちゃ恥ずかしい」って感じても、
何に恥ずかしいと感じたのかとか、
あのとき顔だけでなく耳も熱かったなとか、
そのときの周りの人の目線とか…割と後から思い出すじゃないですか。

絶対、その「恥ずかしい」と感じた時に
「人にできないと思われたことがすごく恥ずかしい。顔と耳が一気に赤くなる。周りの視線が私に刺さって、痛い。」

とか、その瞬間にずらずら考えないじゃないですか!

だから、この「正直な描写」があることで
凄く、主人公の心のそばで物語を眺めている気分になれたし、
何よりテンポがいいから読みやすい。

あと、
「はっきり」「正直」っていうのは
彼の心の揺らぎまでも、見えるんです。

彼がどんなことを見て、聞いて、どんな感情を抱いたのか、
その瞬間を明確にしっかり描写してくれるから読者も着いていきやすい。

少しずつ世界と世界が重なる

佐古田との出会い、
佐古田と鹿沢と永沢の出会い、
それぞれで、世界が交わって変わっていく様子が鮮やかに描かれていました。

第3章で、主人公の富山は鹿沢の世界に触れます。

それまでは、コンビニという世界の中で
「歌い手をしているコンビニ店員仲間」として
鹿沢を見ていただけだったけど、
彼の世界を目撃して、触れて、
富山は、彼をちょっと見てみようと思い立つ。

そうすると鹿沢も、富山の世界に触れてきます。
それに加えて氷川も入ってくることで、
富山の過去と、今の世界が交わっていきます。

そうやって少しずつ、
富山は自分についてとか、自分が持っている恐怖を分かっていくんです。
最終的には、その世界の熱の中でも見つかった。

最後の朝井リョウの解説が印象的だなと思います。

「おまえの作った芝居、俺も鹿沢も、すげー残ったんだ。(中略)おまえの芝居にインスパイアされて何か作ろうとしてて、タイミング合っちまって」
(中略)
「考えたことなかった。私が何かを作る。他の人が、そこから、また何かを作る。パクるんじゃなくて、ぜんぜん新しい物を作る」

好きなものが発する光のもとに集まった二人が、互いに影響を及ぼし合い、共感を超えた伝染を自覚していく印象的なシーンだ。

朝井リョウの解説より


明るい夜ってなんだろう

この物語の「明るい夜」って、なんだろうって思ったんですよね…。

夜は、暗い
ってことは、「明るい夜」は、
なにかしらのがあるってことじゃないですか。
当たり前だけど。

光ってきっと、
希望とか、そういう抽象的なもので例えることもできるし、
人が作りだした人工的な光だって、光源なはず。

「夜」の中でも「明るい夜」に出かけたい彼ら。

それは、静かだけど、希望のあるような、そんな夜。
独りじゃないんだって思えるような、夜。

ただ、それは単に寂しいからって訳じゃない気がする。
単に誰かといたいからって訳じゃなくて、うーん。

心はしっかりここにあるんだけど、
誰かと繋がってたいみたいな。

足元を見たい、のような。
自分の輪郭を知りたいがために、相手と交わるみたいな。

そんな欲求「明るい夜」に出かけるってことなのかなって、
整理できてないけど、そう思いました!


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