50代 シンプルに生きる
もう少し本能的に生きても良いんだと言い聞かせてみる
最近わかって来たことがあるんです。
このnoteでもそうだし、
ノウハウ的な事を、
箇条書きで綴ってある文章って、
体外、ChatGPTから引用しておられるかもしれないという事に。
あ、これは私が勝手に感じた事なので、
決めつけていたらすみません。
しかし、何となく読んでいるとわかるんです。
大体が箇条書きで、
何か抑揚がなくて、
正論や理想論が当たり障りなく、
スマートに綴られている感じが。
それはとても角がなく良い感じなんですが、
なんか、
こう、
その人が書かなくても良いんじゃないかという気がして。
じゃあその人はそれに対して、
どう感じているんだろうって、
思っちゃう時があったりして。
それはChatGPTからもらえば良い情報で、
その人から欲しい情報ではないかもしれないって。
その人の気持ちが入っていないと、
ちょっとだけ寂しい気がするんですよね。
感情って小出しにしたほうが良いんでしょうね、きっと。
やっぱり人間だもの。
だから私も最近は、
良いことばかりでなく、
昨日なんかはちょっと毒づいてみたりしています。
あえて自分を出す。
これが本当の私なんだと。
やっぱり人間って感情の生き物
50歳過ぎてわかったことは、
人はただの人間であり、
動物であるという事。
究極の原点回帰(笑)。
若い頃は良い人になろうとしすぎていた。
なぜだか、
幼い頃からそうしないと生きれない気がしていた。
まさしくアダルトチルドレンだ。
しかし、
そうするとどうなるかというと、
その答えはいたってシンプル。
それがあると重宝する人達が周りに溢れるということだ。
これは被害妄想ではない。
実は私自身、
良い人という評価をもらいたいという下心があった。
だからそのようにちゃんと必要とされ、
その方々の役に立ったりした。
ところが今、
何か残っているかと言えば、
あまりなさそうな感じだ。
ただ時間が過ぎただけのような感じもする。
それは常にその場の意思決定が自分ではないからだ。
そこが問題だった。
それは自分のためになってきたか?
もう一度自分に問いてみる。
やっと気づいた。
それはその場をやり過ごすための護身術だったと。
本能的に自分を守る術としてそれを身についていただけだったと。
しかし、
それは本当の自分ではなかったし、
周囲の人間を「脅威」と感じていたという裏返しだった。
それは周囲を信頼していないという裏返しでもあったのだ。
しかし、
人は自分が思っているほど、
良い人と悪い人が二極化しているわけでもない。
ただ、それぞれがそれぞれの人生を、
一喜一憂しながら営んでいるという事であり、
皆必死で生きているという事だけだった。
そんな中で、
自分に意識を向かせすぎ、
不自然なことをするから、
おかしなことになっていった。
そう、自分は自分以外の何物でもない。
人も人の人生をちゃんと生きている。
これから仕事はやれるところまでやっていこうと思う。
しかしそれは多分、
本当の自分に対しては、
不自然な行動であるから、
なるべく、
自然な自分に戻れるような環境を、
どこかにちゃんと用意しておく。
そしてこれからは、
もっと自分の欲求に素直になって良い。
いや、そうしないときっと残りの人生、後悔しかないだろう。
これからを後悔しない生き方、
それは自分の本当の気持ちに嘘をつかない事だろう。
今日のお話が皆さんのお役に立てたら、嬉しく思います。
それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように🍀