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24. 上士は道を聞けば(じょうしはみちをきけば)

徳を持った人は素直に行動する


この章は下篇に入っています。下篇では主に「徳」について書かれています。

上篇では、「道とは何ぞや」という事が主なテーマだったんですが、下篇では、

「道を行く人は徳を持てる」

「徳を持った人は道を行ける」
(私の解釈ですが)

というようなイメージになって来て、抽象度、難易度がかなり上がってきました。

私は「老子」をナメていたかもしれません。

でも少しづつ、少しづつ、焦らず学んでいこうと思っています。

そして皆さんにイメージしてもらえるまでわかりやすく文章にし、共感してもらえるまで頑張ってみます。


難しくて実践できない学びは楽しくない


それで、話は戻って、今日の「上士は道を聞けば」も正直、難易度高めです。

それで私も行き詰って、ブログなどで色々な方々の「上士は道を聞けば」に対する見解を参考にさせていただきながら、勉強をしていました。

するとですね、なんと!!!

書いている方はほぼ専門家的な人ばかりのようでして、解りづらく、解釈も画一的なイメージだったんですね。


それは英語をただ翻訳しているだけのようなイメージです。


それはもちろん素晴らしく知性の集結されたものではあるんですが、これは私の好きな「無為で自然態の老子」にはほど遠い、実践に至らないような難しい解釈だったのです。

それはまるで、英語が訳せても話すことができない日本人のように思えたのです(生意気言ってすみません)。


これでは私も「老子」があまり好きではなくなってしまうかもしれない。

難しいことをして満足しているだけで、実践できないなんて、本当の学びではないぞ!!

そんな訳で、「上士は道を聞けば」を私なりに解釈したものを、以下に口語的に語り掛けるように綴ってみたいと思います(緊張しますがチャレンジしてみます)。




本当にね、徳を持った人って、素直なんだよね。

色んな事を肯定してるから、騙されちゃう時もあるかもしれないけどね。
それをもプラスにとらえることができてるような、ね。


それから、普通の人は騙されないように用心しすぎて行動できなかったりするよね。
でもそれでは何にも学べないよね。成長しない。


一番ダメなのは素直に行動している人に対してアンチなことを言う人だね。自分は全く行動してしていないのに、批判だけは一丁前だ。

こういう輩は本当にくだらない。


そして徳を持った人は、素直に行動しても結果が出なかった時、
諦めずにまた頑張ってみるんだ。

沢山の挫折や失敗も何度も乗り越えてね。

それで年を取ってしまったとしても、後悔もしないんだよ。


だってそれが人生だと何となくわかっているんだ。
目標に向かって生きていることこそが人生なんだって。

本当は結果よりもプロセスこそが大事だとわかっているし、
結果なんてないってことも、うっすらわかっているんだよ。


それでも楽しんで輝いてる。

それが本当の「道」なんだろうね。




いかがでしたでしょうか。

※この章では「大器晩成」という言葉が出てきます。
現代では、「晩年に完成する」と言うようなイメージで使われているのですが、老子はそのようにはとらえておらず、「いつまでも未完である」ことこそが大器の役割であると言っています。すなわち「結果などない」と言っているのです。

私たちも結果にこだわらず、今この瞬間を楽しんで生きて行きたいですね。

今日の私の記事がどなたかのお役に立てたら、本当に光栄です。








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