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ウィリアム・アドルフ・ブーグロー 《純潔》 を鑑賞して -武蔵美通信 西洋美術史 課題2-

 2024年8月13日、国立西洋美術館の常設展にてウィリアム・アドルフ・ブーグローの《純潔》(1893年)を鑑賞した。ブーグローは新古典派の流れを汲むアカデミズム画家である。作品サイズは178 x 94cm、カンヴァスに油彩。画面は全体に平滑だ。
 本作品の中央には両腕に仔羊と眠る赤子を抱いた若い女性の全身が大きく描かれている。《純潔》というタイトルと、キリスト教においてイエス・キリストを意味する羊のモチーフが使用されていることから、この女性は聖母マリアであり、腕に抱えられた赤子はイエス・キリストその人であると考えられる。
 女性は素足。指先はややふやけたようにも見えるが、傷や汚れは見られない。薄手の白い衣と透け感のある白いショールのようなものを纏い、右腕に抱いた赤子を慈しむような眼差しで見つめている。彼女の服装と、何より赤子に服を着せていないことから、暖かい季節であることが想像できる。
赤子は首が座っていることとサイズ感から、生後3~4ヶ月ではないかと予測される。首を傾げて左手に頭を乗せ、女性の腕の中で悠々と寛ぎ眠っているようだ。その姿勢と泣き喚くことなど知らぬような安らかな表情から、赤子でありながら赤子とは思えないような貫禄を感じる。この子ならば神の子と告げられても納得してしまいそうだ。
 画面全体が非常に緻密なタッチで描かれており、特に人物はあまりにも艶やかでリアルで、美しい。ブーグローがアカデミズム絵画を代表する画家と言われるのも納得である。赤子のムチムチとした肉感、女性の柔らかく滑らかな肌、触らずとも柔らかな温もりが伝わってくるようだ。
指先などは一見写真と見紛うほどの現実感を持っており、しばらく目が離せなかった。
 衣服の書き込みにも着目したい。細かな陰影の付け方により、重力に従って下へと落ちる布地が美しいドレープを作り出している。またそれとは別に生地自体のシワのような細かな影の描き込みも見られ、ショールが少し黄色くくすんだような色味であることも併せて、簡素な衣服であるように見受けられる。彼女は裕福な身分ではないのだろう。
 顔立ちは、女性と赤子、仔羊共に不自然なほど整っていて美しく、神々しく感じられる。一方、彼女の羽織っている衣は従来の宗教画における聖母マリアのようにように赤と青ではなく、先に述べたように白色の簡素なものである。二人の頭上に光輪はない。宗教画の特徴が取り払われた宗教画。ここでは彼らは人間として描かれているということだろうか。
 背景を見ていく。場所は屋外で、山を切り開いた土地のように見える。後ろは切り立った斜面になっていて、一段上には更に木立がある。画面右上の木々の隙間から覗く、岩山とその麓との遠近感から、彼女の立つ場所は小高い山の上であると予測される。
女性の足元にはちょうど芝か苔のようなものが生えていて、彼女はその上に素足で立っている。取り囲むように背の低い草が生え、中には花をつけているものもある。
 作品の色味はホワイト、グリーン、ブラウンを中心に構成されていて、色彩としての華やかさはない。しかしそれを補ってあまりあるモチーフの艶やかさによるためか、私がこの作品を鑑賞していた小一時間の間に多くの人が作品の前で足をとめ、シャッターを切っていた。
 画面全体が丁寧に描写されているが、書き込み具合には差がある。女性と赤子と羊、加えて足元の花は細かに、まるで本物のように細部にわたり描写されている一方で、背景はやや書き込み量が少なく、ピントが合っていないような印象を受ける。これにより画面の中に奥行きが生まれ、より一層女性に目が行きやすくなっている。背景には木立が作り出した影が落ちているが、女性や腕に抱き抱えられた子らにはその影は一切かかっておらず、コントラストにより彼女ら存在が一層際立ち、浮き出、輝きを放っているようにすら思えてくる。
 画面を左上の角から右下の角まで斜め一直線に分断してみると、線の左側は全体的に明るく、右側が暗い。影の向きから見るに、光は左側から差している。左上の木立の隙間からも光が差していることがわかる。併せて女性の足元の花を見ると、左手前にあるものは彩度が高く、瑞々しく見える。一方で右奥にあるものは、女性の影がかかっていることを加味するとしても、暗くくすみ、生気がない。光が差し、花が生き生きと育つのは左側、そして、同じく左側には、キリストと思われる赤子がいる。ブーグロー自身の信仰心の強さがここに現れているように思う。

/武蔵美通信 西洋美術史 第二課題 /評価A

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