なんでも流せるまち最強説
人生谷あり山あり。
この言葉が、私たちの活動のすべてを表している。
埼玉から鹿児島に引っ越してきたタイミングでみつけた、「PLAY CITY! DAYS」というイベント。
鹿児島市のシティプロモーション事業で、「まちを楽しむ」ことを目的としたものである。
鹿児島市内のいくつかのエリアでチーム分けがされ、私は住んでいる「谷山」というエリアのチームに入ることになった。
今年はすべてオンライン開催ということだったが、チームでプロモーション動画を作成したり、感染症対策をしつつイベントを開催したり。
このチームで開催したイベント「谷山なんでも流し」が最高にハートフルかつ深いイベントだったので、記録に残しておきたい。
なぜなんでも流そうとしたのか
鹿児島市谷山エリアには、「慈眼寺そうめん流し」がある。
(鹿児島には各地にそうめん流しがあり、ポピュラーなグルメスポットとなっている)
(慈眼寺のそうめん流しは桜島モチーフで、そうめんが噴火してでてくる仕組みになっている。とてつもなくエンターテインメント性あふれるグルメである)
イベントの企画を考える際、「そうめん流しに、そうめん以外のものを流したら話題になるのでは?」という話が出たが、衛生上、食品は難しいのでは、となった。
「ギャグも水に流しちゃおう」
そんな冗談から、「水に流したいことを流そう」という企画に決まった。
なにをどう流したのか
慈眼寺そうめん流しは、冬季は休業。
ということで、自分たちで竹を組もうとなった。
「竹取物語」と題し、竹を刈って割って削った。
竹は思ったよりも硬い。チェーンソーを使いこなす。
メンバーの職場の方の多大なる協力をいただいた。
水に流したいことをテーマとし、お題を紙に書いて、カプセルに入れ、流れてきたカプセルを拾って、その中身について話すことになった。
まちの人を巻き込む
せっかくイベントをするのでまちの人も巻き込みたい。
谷山の飲食店計7カ所にご協力いただき、インタビューノートを置かせていただいた。
急遽の依頼にもかかわらず温かい谷山のお店。
ポップアップを作ってくださったところもあった。
ここに書けないディープなネタが多々あり、これぞ谷山、という感じである。
流してみてわかったこと
まず、竹を組むだけで楽しい。
カプセルにトークテーマを入れ、転がるさまを眺めるのも楽しい。
竹の加工が粗めなので時々つっかえてしまうが、「谷あり山あり!」を合言葉に、時にはつっかかったっていい!みたいな、流行りの肯定的漫才な空気が流れていた。
場所は錦江湾公園のキャンプ場。中には初対面の方もいたが、和気あいあいとした雰囲気でスタート。トークテーマは主に人生の谷ともとらえられる「水に流したい話」なのだが、時々人生の山についての話もある。
話の最後に、「人生谷あり山ありですな」と締めるのがルール。
これが不思議なことに、この一言ですべての話が笑いでおわる。
これは決して失敗を嘲笑うわけではなくて、言葉で表すとしたら労わり、だろうか。
水に流したいエピソードは、聞き手にとっては学びとなり、救いとなる。話し手にとっては、過去の自分を癒す。
なんとなく楽しくなりそう、で企画したイベントだったけれど、思いの外、深い気づきとなった。
その相互行為はまさしく「ケア」であり、それができるまちは最強なのでは、と思った。(ちなみに、人生の山の話は自己肯定感を爆上げする。)
ネガティブな話って自発的にしづらかったり、関係性にもよるが遠慮してしまいがちだけど、それが話せる空間がまちのどこかにあると、人はまちにケアされるのかもしれない。
人生の、谷も、山も、共感しあう。
共感したあと、水に流しちゃう。
そしてすっきりと身軽になった気持ちで、また人生の山を目指す。
その空間は、けっしてイベントだけではなくて、日常の中でもつくることができると思うし、日常の中にこそ必要な気がする。
家族とも、職場の人とも、違うつながりの中でおこなわれるケア。
それは、まちにもともと備わっている機能なのかもしれない。
じつは気づかなかっただけで、今までも、それに支えられていた場面があったのかもしれない。
あるいは、谷山というまちに特殊な空気が漂っていて、そういった空間を作り出すことに長けているのかもしれない。
……うん、その説が有力かもしれない。
確かめるために、とりあえずみな谷山に来てみてほしい。
どんなときでも、何があっても、
「人生谷あり山あり!」
と言って受け止める、いえ、一緒に笑って水に流すので。