19世紀の文化 ②文学・美術
文化史は、作品名と作者名の単なる暗記ではありません。感受性豊かなアーティストはその時代を敏感に感じとり、同じ時代を生きる人々に絵や音楽や言葉を通じて大切なことを伝えようとしました。慶応義塾大学法学部は、世界史の入試問題でドラクロワの「キオス島の虐殺」は何を題材として描かれたのかを問いました。答えはギリシア独立戦争。慶応義塾大学経済学部ではトルストイの『戦争と平和』がナポレオンのロシア遠征を背景とした小説であることを出題しています。文学や絵画や音楽の優れた作品には、その時代が見事に反映され、重要なメッセージが込められています。芸術作品を通じて当時の社会を理解することは、歴史を学ぶ上でとても重要です。
重要な人物と作品のリストは、新しい高校世界史の科目「世界史探究」の主要な教科書、山川出版社『詳説世界史』、実教出版『世界史探究』、帝国書院『新詳世界史探究』の囲み記事を参考にして、私の責任でまとめたものです。(2024年3月)
⑴ 文学
⑵ 美術
①ドラクロワ 「キオス島の虐殺」 ☆ギリシア独立戦争が題材
②ドラクロワ 「民衆を導く自由の女神」 ☆七月革命が題材
③ミレー 「晩鐘」 ☆農民の生活が主題
④クールベ 「石割り」 ☆労働者を写実し、社会矛盾を描く
⑤モネ 「印象・日の出」 ☆印象派の名前の由来となった
⑥ルノワール 「ムーラン=ド=ラ=ギャレット」 ☆パリの繁華街モンマルトル
⑦ゴッホ 「星月夜」
南仏の精神病院で入院中に描いた風景画だが、こんな景色は存在しない。翌年、自殺。
⑧ゴーガン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
19世紀末、ゴッホと決別したゴーガンはタヒチに移住し、「文明社会」を批判。
⑶音楽
<参考 ロマン主義の3人の芸術家たち>
⑴ゴヤ 「1808年5月3日」
ナポレオン軍の銃口が突きつけられているのはスペインのマドリード市民。ナポレオン軍は「解放」の象徴ではなく、「侵略」の象徴になってしまった。白い服の男がひとりで市民をかばい、両手を広げてナポレオン軍に立ちはだかる。手のひらの真ん中が赤く塗られている。十字架の刑に処せられたイエスだ。スペインは熱心なカトリック信仰の国。こんなに祈っているのに侵略者に虐殺される。本当に神はいるのか。いるのなら助けてくれ。そんな思いがゴヤに架空の白い服の男を描かせたのではないか。イエスがナポレオンの暴走に立ち向かう。この構図は重要だ。のちにピカソが、この構図を踏まえた上で作品を描くことになる。
⑵ショパン 練習曲 第12番「革命」 演奏 ポリーニ
まずはワルシャワ陥落の報に強く打ちひしがれる。メラメラとこみ上げてくる怒り、そして悲しみ。でも、そこで終わらないのがショパン。後半から音楽は優雅に展開し始める。自分たちポーランド人が自由と独立を求めることが普遍的な正義であるとの確信からだろう。曲が終わりに近づくと、旋律は「いつの日か自由が訪れますように」とまるで祈りのよう。ラストは、不協和音。ロシア軍により蜂起は鎮圧されてしまった、と現実に引き戻される。いつもこの曲を聴くと、そんなイメージを私は抱く。ショパンが「ピアノの詩人」と呼ばれるのがすごくよくわかる。
ショパンのエチュード(練習曲)は、いろんなピアニストの演奏を聴きくらべたことがある。アシュケナージもアルゲリッチもブーニンも見事な演奏だ。でも、この「革命」だけはポリーニを推したい。ポリーニのエチュードはどれも淡々としている。恐ろしいまでに機械的だ。ショパンが、この「革命」に込めた怒り、悲しみ、祈りが強いだけに、感情の起伏を感じさせる演奏は、下手な演歌を聴かされているようで興醒めしてしまう。ポリーニの透徹した演奏を聴いていると、むしろ、こちらの方がせつせつと胸に迫ってくる。感情的に怒鳴られるよりも、淡々と「悲しかった」と言われた方が胸を揺さぶられるように。(2024年3月、ポリーニは死去)
⑶ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』 「民衆の歌」
この物語の背景には反動的なウィーン体制への怒りがある。1830年の七月革命で国王シャルル10世が追放された後も、労働者には自由が与えられなかった。
おわりに
文化は時代と呼吸する
19世紀前半、パリでは反動的なウィーン体制(1815〜48)に対して二つの革命が起こった。1830年の七月革命でウィーン体制は動揺し、1848年の二月革命でウィーン体制は崩壊へと向かう。フランスのドラクロワは「民衆を導く自由の女神」を描いて七月革命を讃えた。ポーランドでは七月革命の影響を受けて、1830年11月にワルシャワでロシアの支配に対する「11月蜂起」が起こったが、ロシア軍により鎮圧された。ショパンはパリへ向かう途中でワルシャワ陥落の報に衝撃を受け、練習曲『革命』を作曲する。イギリスの詩人バイロンは、オスマン帝国の圧政から立ち上がった人々を支援しようとギリシア独立戦争に参加したが、病死した。
19世紀前半の個性的で感情豊かな表現はロマン主義と呼ばれる。画家のドラクロワも、音楽家のショパンも、詩人のバイロンも、ジャンルは異なるが同じ時代を生きたロマン主義の芸術家たちだった。そもそも絵や音楽や言葉は、なんのために存在するのだろう。誰かに何かを伝えるためだ。どんなにデッサンが上手く描けても、ピアノが上手に弾けても、耳ざわりのよい詩が書けたとしても、それだけではアーティストではない。何を伝えたいかが大切だ。本物の芸術家は、その時代にとって本当に大切なことを人々に伝えようとする。
沖縄の辺野古で新基地建設に反対する座り込みに参加したとき、私の頭の中ではショパンの『革命』が流れ、ゴヤの「1808年5月3日」の絵が浮かんだ。市民の自由を脅かし、抗議する人々を弾圧する横暴な権力への嫌悪感は同じ。ショパンやゴヤが伝えようとした自由への想いが、時空を超えて、現代の私を勇気づけてくれる。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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