共通テスト直前対策 世界史7つのテーマ


2017年と2018年の試行調査で出題されたテーマから、7つの重要なテーマを整理しました。世界史を学ぶ上で、どんな視点が重要だと大学側が考えているのかがわかります。「世界の一体化」による世界的な富の偏りと先住民への過酷な統治世界経済と結びつくことによる国内の社会構造の変化覇権国家による世界支配の限界とマイノリティーの権利拡大

共通テストでは、史料や会話文を読みながら、世界史の授業で学んだ重要事項と「気づくべきこと」を結びつけ、意義づけ、類推する力が求められています。細かな知識は判断根拠になりません。小手先の暗記では通用しない良問ばかり。とはいえ重要用語をきちんと理解し、重要年号を覚えておく必要はあります。あとは世界史を学ぶ上で「なにが大切なのか」。ちゃんとした視点があれば、「気づくべきこと」に気づけるはずです。7つのテーマは、その視点を持つ参考になるはずです。


⑴ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓


【重要ポイント 世界の一体化の始まり】
①1488年 バルトロメウ=ディアスが、アフリカ南端の喜望峰に到達
②1492年 コロンブスが、大西洋を横断してサンサルバドル島に到着
③1498年 ヴァスコ=ダ=ガマが、インド西岸のカリカットに到達
④1519年 マゼラン艦隊が、初の世界周航(〜22)
【重要ポイント ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓】
1498年、ポルトガル人のヴァスコ=ダ=ガマはインド西岸のカリカットに到達
☆アフリカ東岸のマリンディでアラブ人ムスリムの水先案内人を雇った
【重要ポイント インドとアフリカ東岸の交流】
10世紀以降、アフリカ東岸のマリンディ・モンバサ・ザンジバル・キルワなどの海港都市にムスリム商人が住みつき、インド洋交易の西の拠点として繁栄
☆この海岸ではアラビア語の影響を受けたスワヒリ語が共通語として用いられた

15世紀末、ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓でポルトガルはアジアへ進出した。10世紀以来、インドとアフリカ東岸を結ぶインド洋交易を行なってきたムスリム商人がこの新航路の開拓に協力していた。


⑵スペインの新大陸侵略

【重要ポイント スペインの「新大陸」侵略】
①1521年 アステカ王国をコルテスが征服 ☆メキシコ中央部
②1533年 インカ帝国をピサロが征服   ☆南米アンデスの高地
☆インカ帝国ではキープ(結縄)とよばれる記録・伝達手段が使われた
【重要ポイント スペインの「新大陸」支配】
16世紀 エンコミエンダ制→スペイン王が征服者に先住民と土地の支配を委ねる
<結果>先住民は大農園や鉱山などで酷使され、過酷な労働とヨーロッパからもたらされた天然痘などの伝染病により、先住民の人口は激減した。

☆聖職者ラス=カサスは先住民が虐待されているとスペインの植民地政策を批判
【重要ポイント アメリカ大陸原産の食べ物】
①トウモロコシ
②ジャガイモ
③トマト
④サツマイモ
⑤とうがらし

16世紀、スペインはアメリカ大陸を侵略した。16世紀半ば、南米ボリビアでポトシ銀山が発見されると、膨大な銀が生産され、過酷な労働と伝染病でインディオの人口は激減した。アメリカ大陸原産の食べ物がヨーロッパやアジア・アフリカにもたらされると、人口を維持する作物として広まった。17世紀、新たな労働力としてアフリカ大陸から大量の黒人奴隷を輸入することになった。


⑶大西洋三角貿易と砂糖の流入

【重要ポイント 大西洋三角貿易(17〜18世紀)】
西ヨーロッパの武器・雑貨を西アフリカで黒人奴隷と交換し、黒人奴隷をアメリカ大陸・カリブ海地域へ運んで砂糖・綿花を得て、西ヨーロッパに運ぶ貿易
<結果>18世紀後半、イギリスは大西洋三角貿易で得られた富で産業革命を展開
【重要ポイント カリブ海地域での砂糖の生産】
17世紀
中ごろ、ジャマイカなどカリブ海の島々では、アフリカから大量の黒人奴隷が輸入され、サトウキビの栽培が始まった。先住民のインディオは消滅し、黒人が住民の大半となり、原生林は切り開かれて砂糖プランテーションとなった。
【重要ポイント 18世紀 コーヒーハウスとカフェの流行】
①コーヒーハウス イギリスのロンドン
②カフェ     フランスのパリ
☆コーヒーハウスやカフェでは、新思想や世論が形成された

 17世紀、大西洋三角貿易で西アフリカから大量の黒人奴隷がアメリカ大陸・カリブ海地域に輸入された。特にカリブ海地域ではサトウキビ=プランテーションが広がり、生産された砂糖がヨーロッパにもたらされた。


⑷16世紀後半、明の社会の変化

【重要ポイント アカプルコ貿易】
1545年ポトシ銀山が現在のボリビアで発見され、膨大なが生産された。
スペイン商人がメキシコのアカプルコからフィリピンのマニラまでメキシコ銀を運び、中国商人がマニラに運んだ絹・陶磁器と交換した。
16世紀後半、大量のメキシコ銀が東アジア・東南アジアに流入
【重要ポイント 中国の税制】
①唐   租調庸制→土地を支給された成年男性に課税 ☆均田制に基づく
②唐後半 両税法 →資産に応じて、夏・秋2回課税 ☆780年、楊炎の献策
③明末  一条鞭法→地税と丁税を一括して銀納 ☆16世紀、メキシコ銀の流入
④清全盛 地丁銀制→地銀(地税)に丁銀(人頭税)を繰り込む ☆人頭税廃止
【重要ポイント 中国の農業の変遷】
①戦国時代、鉄製農具や牛耕農法の普及によって農業生産力が高まった
②宋代、江南の開発が進み、占城稲が導入され、長江下流域が「蘇湖熟すれば天下足る」といわれるほどの穀倉地帯となった
③明末、長江中流域が新たな穀倉地帯となり「湖広熟すれば天下足る」と称された
④18世紀、清朝の時代に山地や砂地で栽培できるトウモロコシやサツマイモなどの外来作物が普及し、人口増加をもたらした  

16世紀、急速に生産をのばした日本の銀、アカプルコ貿易でメキシコ銀が明に流入した。日本銀とメキシコ銀が大量に入ってくると、納税においても銀で納入する一条鞭法が広がっていった。国際商業の活発化で、長江下流域では綿織物や生糸の原料となる綿花や桑の栽培が普及して、明末には穀物生産の中心は長江下流域から長江中流域の湖広に移り、「湖広熟すれば天下足る」と称されるようになった。


⑸冊封体制と琉球王国

【重要ポイント 冊封体制】
中国皇帝を中心とする東アジアの国際秩序を冊封体制という
☆周辺諸国の支配者が中国皇帝に朝貢使節をおくり、中国皇帝は官爵・印綬を与えて君臣関係を結び、統治を認めた
【重要ポイント 海禁と勘合貿易】
①14世紀、明の洪武帝は倭寇を抑え込むため、民間の海上交易を禁止した(海禁) ☆対外関係を国家間の朝貢・冊封関係に限定
②15世紀はじめ、室町幕府の足利義満が、明との朝貢貿易にふみきった(勘合貿易) ☆明による「日本国王」の冊封は、5世紀の倭の五王以来のこと
【重要ポイント 琉球王国の歴史】
①15世紀はじめ、首里の中山王が琉球諸島を統一し、明の冊封体制に入った
②1609年 島津氏の侵入で薩摩藩の支配下に入るが、中国との冊封関係も続いた
③1879年 日本は、琉球と清朝の関係を絶たせ、沖縄県とした(琉球処分)

14世紀、明が成立すると洪武帝は倭寇を抑え込むため、民間の海上交易を禁止する海禁を行なった。明と貿易するには朝貢・冊封を受け入れなければならなくなったため、室町幕府の足利義満は朝貢貿易に踏み切り、勘合貿易を行なった。15世紀、中山王が琉球諸島を統一して琉球王国が成立し、明との朝貢貿易で繁栄した。


⑹南アフリカのアパルトヘイト

【重要ポイント 南アフリカのアパルトヘイトの始まり】
南アフリカ戦争(1899〜1902)に勝利したイギリスは、1910年に南アフリカ連邦を成立させ、イギリス人とオランダ系のブール人との対立緩和のために、黒人に対するアパルトヘイト(人種隔離政策)を開始した
【重要ポイント 1991年 アパルトヘイト撤廃】
①1991年 国際世論の批判から、白人のデクラーク政権がアパルトヘイトを撤廃②1993年 白人のデクラーク大統領と黒人指導者マンデラがノーベル平和賞受賞③1994年 反アパルトヘイト運動の指導者マンデラが大統領に就任
【重要ポイント 1991年の出来事】☆2回の試行問題ですべて出題
①湾岸戦争→アメリカ中心の多国籍軍がクウェートからイラク軍を撤退させた

②ユーゴスラビアの内戦が開始←クロアティア・スロヴェニアが独立宣言
③南アフリカのアパルトヘイトが撤廃→白人のデクラーク大統領が実現

19世紀はじめ、南アフリカ戦争に勝利したイギリスは南アフリカ連邦を成立させ、イギリス人とオランダ系のブール人の対立緩和のために、黒人差別のアパルトヘイト(人種隔離政策)を開始した。冷戦が終結すると、1991年に白人のデクラーク大統領がアパルトヘイトを撤廃した。長年、反アパルトヘイト運動を展開して投獄されていた黒人指導者のマンデラは1994年に大統領に就任した。


⑺ベトナム戦争とブレトンウッズ体制の崩壊

【重要ポイント ベトナム戦争(1965〜73年)】
①1960年 南ベトナム解放民族戦線が結成→ゲリラ戦を展開
②1965年 アメリカが北爆を開始→南ベトナムに地上軍を派遣
③1968年 ベトナム反戦運動が世界各地で爆発的に広がる ☆キング牧師暗殺

④1973年 パリでベトナム和平協定が締結→アメリカ軍は完全撤退
⑤1975年 サイゴン陥落→76年ベトナム社会主義共和国が成立
【重要ポイント ブレトン=ウッズ体制の崩壊】
<背景>アメリカのヴェトナム戦争による軍事費の増大→ドルの信用が低下
①1971年 ニクソン政権がドル=ショック→金・ドル交換停止とドルの切り下げ②1973年 固定相場制から変動相場制に移行し、ブレトン=ウッズ体制は崩壊
【重要ポイント 米中接近】
①1971年 中国の国連代表権交替 ☆キッシンジャー大統領補佐官が訪中
②1972年 ニクソン訪中 ☆田中角栄訪中→日中国交正常化
③1979年 米中国交正常化 ☆アメリカのカーター政権


アメリカのニクソン政権はベトナム戦争の軍事費増大によるドルへの信用不安から、1971年に金・ドル交換停止とドルの切り下げを発表(ドル=ショック)し、1973年には固定相場制から変動相場制に移行した。ブレトン=ウッズ体制が崩壊し、アメリカは第二次世界大戦後のドルを基軸通貨とする国際経済秩序を失った。ベトナム戦争が泥沼化し、ベトナムからの撤退を模索するアメリカは中国との和解をねらった。中ソ対立や文化大革命で行き詰まった中国もアメリカとの関係改善を望むようになり、1972年にニクソンが訪中して、米中関係は劇的に改善した。


【世界史7つのテーマ】
⑴ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓
⑵スペインの新大陸侵略
⑶大西洋三角貿易と砂糖の流入
⑷16世紀後半、明の社会の変化
⑸冊封体制と琉球王国
⑹南アフリカのアパルトヘイト
⑺ベトナム戦争とブレトンウッズ体制の崩壊


冒頭の文章をもう一度、読んでみましょう。

「世界の一体化」による世界的な富の偏りと先住民への過酷な統治世界経済と結びつくことによる国内の社会構造の変化覇権国家による世界支配の限界とマイノリティーの権利拡大

この抽象的な文章から、具体的な事例を思い浮かべることができるのではないでしょうか。


スペインがアメリカ大陸を侵略して大量の銀を手に入れて豊かになる一方で、先住民のインディオの人口が激減した。アカプルコ貿易で中国が世界経済と結びつくと、明の社会構造は大きく変化し、16世紀後半、穀物生産の中心は長江下流域から長江中流域へと移動した。アメリカではベトナム反戦運動と黒人差別撤廃運動が結びつき、公民権法が成立した。また、冷戦終結後まもなく南アフリカのアパルトヘイトが撤廃された。


気になるテーマをあと7つ。すべて共通テストの試行調査で出題されたものです。

①インドネシアのスカルノ

【重要ポイント インドネシアのスカルノ】
①1945年 インドネシアの初代大統領に就任
②1949年 オランダからの独立承認を勝ち取る
③1955年 アジア=アフリカ会議を主催
④1965年 九・三○事件で失脚し、スハルトが実権を握る

【重要ポイント 1955年 アジア=アフリカ会議】
インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ29カ国が参加した
→反植民地主義と平和共存を基本に「平和十原則」が採択された

デヴィ夫人の夫スカルノは、アジア・アフリカ会議を主催した偉大な政治家。

②マレー半島のマラッカの支配

【重要ポイント マラッカの支配】
①1511年 ポルトガル
②1641年 オランダ
③1824年 イギリス
☆マラッカ海峡は東南アジアの海上交通の要所。東南アジアの海上覇権の変遷
【重要ポイント 東インド会社の設立】
①1600年 イギリス ☆エリザベス1世が特許状により成立
②1602年 オランダ ☆世界初の株式会社

東南アジアの要所・マラッカ海峡を支配する国が、当時の世界のリーダー国家。


③インドを訪れた中国僧

【重要ポイント インドを訪れた中国僧】
①東晋 法顕 『仏国記』    (陸→海)☆グプタ朝
②唐  玄奘 『大唐西域記』  (陸→陸)☆ヴァルダナ朝
③唐  義浄 『南海寄帰内法伝』(海→海)☆シュリーヴィジャヤ王国で著す

インドと中国の文化交流。旅行記と往復が陸路が海路かまで正確に覚えておこう。


④南北戦争と黒人の地位

【重要ポイント 南北戦争(1861〜65)と奴隷解放宣言】
①1860年 共和党のリンカンが大統領に当選
②1861年 南部はアメリカ連合国を作り、南北戦争が開始
③1863年 リンカンは南部反乱地域の奴隷解放宣言を出す
④1865年 南部の首都リッチモンドが陥落し、合衆国は再統一
☆南北戦争後も、黒人はシェアクロッパーとして貧しい生活を送った
【重要ポイント キング牧師の公民権運動】
1963年 キング牧師はワシントン大行進を指導し、ケネディ大統領は理解を示す
1964年 公民権法が成立 ☆ジョンソン政権

キング牧師が「私には夢がある」と演説したのは、奴隷解放宣言から100年後。


⑤甲午農民戦争とマフディーの乱

【重要ポイント 1894年 甲午農民戦争(東学の乱)】
朝鮮王朝末期の農民蜂起。東学の全琫準が指導者。朝鮮政府が清に援軍を要請すると、日本も朝鮮に兵を出し、日清戦争に突入した。
【重要ポイント マフディー反乱(1881〜98)】
1881年、ムハンマド=アフマドが自らをマフディーと称して、イギリスとの戦いジハード(聖戦)を呼びかけた。1898年までスーダンで政権を維持した。

日本やイギリスに対する宗教絡みの民衆の反乱。鎮圧後はむしろ侵略が加速する。


⑥パレスチナ問題とイスラエルの建国

【重要ポイント 第一次世界大戦中のイギリス外交】
①1915年 フセイン・マクマホン協定→アラブ人の独立を約束
②1916年 サイクス・ピコ→連合国間でオスマン帝国領を分割
③1917年 バルフォア宣言→ユダヤ人国家の建設を約束
【重要ポイント ユダヤ人国家の建設】
1948年 イスラエルの建国を宣言→パレスチナ戦争(第一次中東戦争)
<結果>イスラエルは領土拡大し、100万人以上のパレスチナ難民が発生した

第一次大戦中のイギリスの不誠実な外交が、ユダヤ人とアラブ人の対立を招いた。


⑦二つの世界大戦の意義

【重要ポイント 第一次世界大戦後の東欧8カ国の独立】
北から順にフィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ユーゴスラヴィアが独立を達成
【重要ポイント 2つの世界大戦の影響】
①第一次世界大戦後→東欧8カ国の独立
②第二次世界大戦後→アジア・アフリカの独立

アジア・アフリカが独立を達成するのは、未曾有の犠牲者を出した第二次大戦後。


おわりに

共通テストの試行調査の問題が、広い視野鋭い視点から作られていることを感じてもらえたら嬉しいです。グローバリゼーション、ナショナリズム、マイノリティー。問題に取り組むとき、こうした言葉が頭に浮かんでくればしめたもの。

先住民も少数民族も黒人も、すべての人が平等に扱われるべきです。こうした矛盾を解決することで、人類社会は、より自由で豊かな社会を作ってきました。世界史を学ぶことで身につけた視点は、あなたという存在をかけがえのないものにしてくれます。学校でも会社でも家庭でも。困っている人に手を差し伸べ、不当な立場におかれている人の側に立って闘うことで、あなたへの信頼は自然と高まり、あなたは大きな力を得るはずです。優しい知性はいつも弱者の側にある。それは、弱者がかわいそうだからではありません。社会や組織の矛盾が弱者へのしわ寄せになっているから。その矛盾を解決することで多くの人が救われます。大学では、そんな問題把握能力と、問題を解決するための優しい視線が求められています。 さあ、あとすこし。 最後まであきらめずに頑張りましょう。

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