共通テスト 2017年度試行調査 世界史B 問題分析
2021年から大学入学共通テストが始まります。独立行政法人 大学入試センターは、2017年と2018年の2回にわたり試行調査(プレテスト)を発表しました。共通テストとはどのような問題になるのか。その手がかりになる重要な問題です。
2017年度(平成29年度)試行調査の問題と解答のリンクはこちらです。
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?d=107&f=abm00000468.pdf&n=世界史B_問題_h29.pdf
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?d=107&f=abm00000444.pdf&n=世界史B_正解表_h29.pdf
左端の教科・科目から「地理歴史 世界史B」を選び、その右にある「世界史B 問題」「世界史B 正解等」をクリックして、問題と正解をあらかじめプリントアウトしておいてください。
必ず時間を測って、この問題に取り組んでください。復習の効率を高めるため、解いた痕跡を残しましょう。迷わず消すことができた選択肢の番号には「×」を、迷った選択肢の番号には「△」を、判らなかった用語や迷った部分には下線を引きましょう。たとえ覚えていないことが問われていても、すぐにあきらめてはいけません。問題文や資料から読み取り、類推する思考力が問われている可能性があります。じっくりと問題文を読み返して、時間いっぱいに悩み、考え抜きましょう。
全36問について、解答根拠がわかるよう解説を試みました。問題文や資料から読み取り、類推する問題では、その解答プロセスを示しました。問題文や資料のどこが気づくべき点で、その知識をどのように活用すれば正解にたどり着けるのか。この問題分析を通じて、世界史選択の高校生に適切な学習の指針を示したい。
今年の受験生は、ただでさえ様々な変更が伝えられる初めての共通テストに大きな精神的な負担を感じてきました。さらに新型コロナウイルスの感染拡大で、ギリギリまで予定通りに実施されるのかと落ち着いて受験勉強できない状況が続いています。とはいえ受験生にとっては人生を左右する重要なイベントです。こんなときにこそ冷静になって直前対策の勉強に集中しましょう。
第1問
問1 答えは① 古代の東アジアの国際関係 正答率は32.2%
設問には「金印がもたらされた当時の東アジアの状況」とあり、問題文には金印がもたらされたのは「1世紀」とある。②楽浪郡を設置したのは武帝。光武帝ではない。武帝の外交はセンター試験の頻出事項で、2018年の試行調査でも出題。③倭国が百済と結んで朝鮮半島に出兵していたのは何世紀だろう。朝鮮半島南部に百済や新羅が成立して、北部の高句麗と並び立つ朝鮮史上の三国時代は4世紀に始まった。1世紀に百済が存在しないから、この時点でこの選択肢は消える。でも、百済の成立が4世紀であることを知らない受験生は多いだろう。唐と新羅の連合軍に百済が滅ぼされて間もなく、日本は百済復興のために援軍を送り、唐と新羅の連合軍に白村江の戦い(663年)で大敗した。つまり百済と結んでの出兵は7世紀となる。④好太王碑(広開土王碑)は高句麗の最盛期の国王を称えたもので、5世紀に建立された。これも、広開土王碑が5世紀に建立されたことを覚えておく必要はない。4世紀初めに高句麗が楽浪郡を滅ぼし、広開土王のもとで最盛期を迎えたから、4世紀以降。したがって①が答え。
問2 答えは② 東アジア世界の冊封体制 正答率は63.2%
問題文に「朝貢した」、「印と綬とを賜った」とあるので冊封体制だとわかる。
問3 答えは④ 文字や記録の性質や変遷を類推する 正答率は72.7%
下線部②の説とは「出土した金印の文字そのままに読むべきだとする説」。この説で想定できる根拠として適切でないものを選ぶ。①「手書きで伝えられ」「文字が変わる」は想定できる。②「『後漢書』は編纂されたもので、編者が文字を改めることがあった」も想定できる。③「使者が口頭で伝えた国名が、異なった漢字で表記される」も想定できる。したがって卑弥呼についての知識がなくても答えは④。ちなみに卑弥呼が魏に使節を送ったのが3世紀というのも、世界史の知識で導き出せる。魏は後漢の最後の皇帝が曹丕に禅譲して成立した。漢は前202年から220年までの王朝。したがって魏の成立は漢が滅亡した220年。魏の将軍司馬炎が国を奪って晋(西晋)を建てたのが265年なので、魏の滅亡は265年。この年号を知らなくても、晋が呉を滅ぼして中国を統一したのは280年。魏は3世紀の王朝となる。
問4 答えは③ フランク王国の知識と史料から判断する 正答率は66.6%
史料の冒頭「王妃クロティルドは,まことの神を認め偶像を放棄するよう,王クローヴィスを説得し続けた」。とあるので、王妃がクローヴィスにアタナシウス派へ改宗するよう説得していることがわかる。①ローマ皇帝の帝冠を受けたのは、800年のカールの戴冠。②ベクトルが逆。王妃が王を説得している。④レコンキスタは711年にイスラームのウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼした後に起こった、キリスト教徒によるイベリア半島での国土回復運動。クローヴィスよりも後の時代。これも難しい知識がなくても判断できる。問題文の冒頭に「6世紀」の資料とある。イスラーム教の成立はムハンマドがメッカからメディナに移住した622年。つまり7世紀。クローヴィスの生きていた時代にイスラーム教はまだ成立していない。したがってイスラーム教徒からの国土回復運動であるレコンキスタをクローヴィスがやったとは考えられない。③は「神に対し,精神的な救いよりも現実的な力の強さを求めた」と抽象的だが、史料には「この敵に私を勝たせてくれるならば,(中略)私はあなたを信じ,あなたの名のもとに洗礼を受けます」と内容が一致する。
問5 答えは② 中世ヨーロッパの歴史的知識から絵画を選ぶ 正答率は75.7%
この文章の主題はクローヴィスの改宗。これは史料の絵画に見覚えがあるかを問う知識問題ではない。史料の終わりの方に「王が司教から洗礼を授かることを申し出て」とあるので、王が洗礼を受ける場面を選べば良い。したがって答えは②。①はフスの火刑。③はノルマン人のイングランド征服。この絵画はセンター試験で出題され、山川の教科書『詳説世界史B』にも掲載されている。
問6 答えは③ ローマ帝国とフランク王国のキリスト教政策 正答率は49.1%
フランク王国の建国者クローヴィスは「新しい」何者として「洗礼」を受けたのか。この出題意図はなんだろう。クローヴィス関連で有名な年号は496年のクローヴィスの改宗くらい。覚えてなくても、その後カール=マルテルが732年、トゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝イスラーム軍を撃退したことは必修の知識。選択肢を見ると、まずは①と②が消去できる。クローヴィスよりも後の時代の人物だから。①のサラディンは1169年にアイユーブ朝を起こし、1187年にイェルサレムを奪回。第3回十字軍(1189〜92)を撃退したイスラーム世界の英雄。つまり12世紀の人物。②トマス=アクィナスは『神学大全』を著した13世紀の神学者。残った選択肢は③コンスタンティヌスと④ディオクレティアヌス。キリスト教との関係でいえば、③は313年のミラノ勅令でキリスト教を公認し、④は303年にキリスト教の大迫害を行なった。クローヴィスは洗礼を受けて、国王としてキリスト教を保護する立場。したがって答えは③。
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