YouTubeテキスト #1 ベトナム戦争
記念すべき第1回のテーマは、ベトナム戦争です。
まず押さえておきたいのは、この戦争がアメリカが負けた初めての戦争だということ。そして、この戦争を契機にアメリカは覇権を失っていきます。世界のリーダー国家であるアメリカが動揺することで、中東戦争が勃発し、ヨーロッパ統合が加速します。さらには第二次世界大戦後の世界経済の枠組み、ブレトン=ウッズ体制が崩壊しました。現在の国際政治や国際経済を理解する上で、必ず知らなくてはならないのがベトナム戦争なのです。
【このテーマを扱う理由】
①アメリカが初めて負けた戦争
②アメリカの覇権が失われていくきっかけ
③国際政治や国際経済を理解する上で必要不可欠なテーマ
⑴日本軍のベトナム派兵が日米開戦を決定づけた
【ベトナムをめぐる第二次世界大戦中の動き】
①1940年6月 ドイツ軍がパリを占領
②1940年9月 日本軍がフランス領インドシナ北部に進駐(北部仏印進駐)
③1940年9月 日独伊三国同盟を締結→アメリカを仮想敵国とする軍事同盟
④1941年7月 日本軍がフランス領インドシナ南部に進駐(南部仏印進駐)
⑤1941年8月 アメリカは対日石油輸出の禁止を決定→日本海軍が開戦論に傾く
⑥1941年11月 ハル=ノートでアメリカは仏印からの全面的無条件撤退を要求
⑦1941年12月 日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開始
*仏印とはフランス領インドシナの略称
<ホー=チ=ミンの抵抗>
1941年5月 ホー=チ=ミンがベトナム独立同盟会(ベトミン)を結成
→第二次世界大戦中は反日闘争を展開
⑵フランスの侵略、インドシナ戦争
第ニ次世界大戦後、ベトナムがフランスによる植民地支配からの自立を勝ち取っあたのがインドシナ戦争です。フランスが大敗した1954年のディエンヒエンフーの戦いは重要です。
【インドシナ戦争(1946〜54)】
①1945年 ホー=チ==ミンがベトナム民主共和国を建国
②1946年 フランスがベトナムに侵攻→インドシナ戦争が開始
③1949年 フランスが南にベトナム国を発足させる <国王>バオダイ
④1954年 ジュネーヴ休戦協定(7月)→フランスが撤退
<フランスの大敗>
1954年5月 ディエンビエンフーの戦い
<1954年7月 ジュネーヴ休戦協定>
①北緯17度を暫定軍事境界線とする
②2年後の南北統一選挙の実施
→アメリカはこの協定の調印を拒否した
<1955年 ベトナム共和国の成立>
①南ベトナムにアメリカの支援を受けて建国
②初代大統領はゴ=ディン=ジエム→政権は腐敗
⑶アメリカの侵略、ベトナム戦争
インドシナ戦争でフランスが撤退すると、アメリカがベトナムに本格的に介入する。南ベトナムにアメリカが傀儡政権をたて、北ベトナムのホー=チ=ミンの政権はソ連が支援した。ベトナム戦争は、冷戦下で起こった米ソ代理戦争だった。
<アメリカの政権>
①共和党 アイゼンハワー政権(1953〜61)→ダレス国務長官の「ドミノ理論」
②民主党 ケネディ政権(1961〜63) →1962年 キューバ危機
③民主党 ジョンソン政権(1963〜69) →1964年 公民権法が成立
④共和党 ニクソン政権(1969〜74) →キッシンジャーが米中和解を実現
<南ベトナム市民の抵抗>
1960年12月 南ベトナム解放民族戦線が結成
【重要ポイント ベトナム戦争(1965〜73)】
①1963年 ケネディ暗殺(11月22日) ☆テキサス州ダラス
②1964年 トンキン湾事件 ☆アメリカ軍による自作自演
③1965年 北爆開始 <アメリカ大統領>ジョンソン(民主党)
④1968年 テト(旧正月)攻勢→ベトナム反戦運動が高まる
⑤1973年 ベトナム(パリ)和平協定 <アメリカ大統領>ニクソン(共和党)
⑥1975年 サイゴン陥落(4月30日)→南北ベトナムが統一
⑦1976年 ベトナム社会主義共和国が成立
<キング牧師>
①1963年 ワシントン大行進で「私には夢がある」を演説
②1964年 公民権法が成立→選挙権や公共施設での人種差別を禁止
③1964年 ノーベル平和賞を受賞
<1968年のアメリカ>
①3月 ジョンソンが大統領選挙への不出馬を表明
②4月 キング牧師が暗殺(4月4日)
③6月 ロバート=ケネディが暗殺(6月5日)
④11月 共和党のニクソンが大統領に当選 ☆「名誉ある撤退」が公約
⑴『安全への逃避』
この写真を撮影した沢田教一はピューリッツァー賞を受賞した。
⑵『サイゴンでの処刑』
エディ・アダムズが撮影。南ベトナムの国家警察長官ロアンが銃殺する。
⑶『サイゴン陥落』
ヒュー・ファネスが撮影。アメリカ大使館ではなく、CIA職員のアパートの屋上。
まとめ
⑴ベトナム戦争の本質は米ソ代理戦争
①北ベトナムのベトナム民主共和国はソ連が支援
②南ベトナムのベトナム共和国はアメリカが支援
⑵テレビが伝えた初めての戦争
①CBSのウォルター・クロンカイトが「ベトナムからは手を引くべきだ」と踏み込んで発言し、世論がベトナム反戦へ動いた。
②現在、戦争報道は軍により大きく制限され、テレビが戦場の悲惨な様子をありのままに報じることはなくなった。
⑶アメリカが覇権を失うきっかけになった
ベトナム戦争の敗北を機に、アメリカの覇権は衰退へと向かう。第二次世界大戦後の米ドルを中心とする世界経済の枠組み、ブレトン=ウッズ体制は崩壊した。
【確認問題】
① インドシナ戦争が終結へ向かう契機となった、1954年にフランス軍が大敗した戦いは何か。(早大)
②フランスが1949年に発足させたベトナム国の元首は誰か。(慶応)
③1955年、南ベトナムに成立したベトナム共和国の初代大統領は誰か。(早大)
④1960年12月に南ベトナムに結成された組織で、アメリカ軍と戦い、ゲリラ戦を展開した組織とは何か。(京大)
⑤ケネディ暗殺は何年に起こったか。(慶應)
⑥1963年11月、黒人差別撤廃運動に理解を示したケネディは、遊説中のテキサス州のどこで暗殺されたか。都市名を答えなさい。(早大)
⑦アメリカが北爆を開始する口実となる1964年8月に発生した事件とは何か。(早大)
⑧ベトナム戦争に一応の区切りを付け、アメリカ合衆国軍の撤退を実現させた協定は、西暦何年に調印されたか。(慶應)
⑨ベトナムからのアメリカ軍の撤退を定めた和平協定が締結された都市はどこか。(京大)
⑩1960年代に人種差別の撤廃を目指す公民権運動で指導的立場を担い、ノーベル平和賞を受賞するものの、1968年に暗殺された人物は誰か。(慶應)
<解答>
①ディエンビエンフーの戦い ②バオダイ ③ゴ=ディン=ジエム ④南ベトナム解放民族戦線 ⑤1963年 ⑥ダラス ⑦トンキン湾事件 ⑧1973年 ⑨パリ ⑩キング牧師
いかがでしたか?
10問中2問は京都大学、残り8問は早稲田と慶応の入試問題です。この短い動画を見ただけで、かなり解けるようになったのではないでしょうか。
早稲田大学政治経済学部は、イラク戦争が開始された2003年、世界史の第2問でベトナム戦争を出題しました。配点が高いと思われる記述問題は3問。ディエンビエンフーの戦い、南ベトナム解放民族戦線、トンキン湾事件、を書かせました。
侵略者を追い払った「ディエンビエンフーの戦い」、侵略者に抵抗する市民の組織「南ベトナム解放民族戦線」、戦争の口実となったテロがアメリカの自作自演だった「トンキン湾事件」。早稲田大学の出題者の意図を想像をすると、歴史を学ぶ意義を教えられているようで、なにか清々しい感動すら覚えます。
ベトナムは、面積ではカリフォルニア州にも及ばない狭い国土です。そのベトナムに投下された爆弾の量は755万トン。第二次世界大戦で使用された爆弾の総量300万トンの2倍以上にもなります。軍需産業は潤い、巨額な軍事費でアメリカの財政は圧迫されました。派遣された米軍兵力は最大で54万人。アメリカ軍の死者数は5万8千人。ベトナムの犠牲者は民間人を含めて約400万人に上るとの推計があります。ベトナム戦争はアメリカによる一方的な虐殺でした。
この授業はまだベトナム戦争を学ぶ導入にすぎません。「世界史」の大学受験の勉強がしやすいよう、シンプルに授業を展開しました。大学生や社会人の方には、軍産複合体を批判したアイゼンハワーの退任演説、1968年のソンミ村虐殺事件、CBSの伝説的なキャスターであるウォルター・クロンカイトについてもお話したかったです。興味のある方は、 noteのこちらの記事もぜひお読みください。
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