【鬼ごっこの結果ー前哨11.26/2020】
いつだって私の心には夢と現実がうずまいていた。この鬼ごっこだって本当はうそかもしれないし、ここに書いてあることだって夢なのかもしれない。嘘と夢の間を漂うように生きている私にとって、ここに書いたことがどんな意味を持ってどんな影響力を持っているかなんて知りませんし、知ったところで私の夢遊病のようなこの気持ちが治るとも思っていませんから、生きるには影響がないと言える。
私が見た人はもしかしたら実在していないかもしれないし、私が見ていないかもしれないし、もしかしたら、その人が私の頭にコネクトして侵食してプログラムを書き換えているのかもしれない。
こんなふうに私が鬼ごっこを始めたのは、そう、好きな人を見つけるためだった。本当に毎日毎日好きな人を見つけるために必死に渡り歩いた。カフェをコワーキングスペースを、々コミュニティに属してみたり、いろんなところで目を合わせて誘ってみたりもした。
でもそのどれもがひとつの線となっていなかった。断片的であり、デジャヴのようにあったことがまたあったりと、だからこれは夢なのかもしれない、でも現実に今私の頭の中にはありありと鮮明に見えている。だからこんなふうに文章で詳細に伝えることができていたのだと思う。
私にとって夢の世界と現実の世界はひとつのような気がしている。でもどちらも現実である気もしていた。
鬼ごっこをはじめたのも、こんなふうに結果発表をしはじめたのも、どこに私がいたかのルートマップを詳細に作るためだった。
いつどこにいてどんなふうに私がふるまってだれと会ったかその詳細なルートマップを作れば、現実と夢の行き来が自在になると思った。
なぜ好きな人を捜し求めていたか。私には生きていくときに好きな人という道標が必要だった。それだけは夢の世界でも現実の世界でも私が自覚していたことだった。
夢と現実の唯一の共通項だった。だから、「好きな人」を探すために鬼ごっこをした。たくさんの人を見た。素敵なひとが本当にたくさんいた。たくさんいていろんな人を見つめたけれど、どれも覚えていない。そのくらいにたくさんの人を見つめては忘れて、忘れては思い出して。
そして、ついに今日は「それ」をみつけた。
まだ頭の中がごたついている。だからそのことを整理してから、また書こうと思う。少しだけ、休む時間が必要。より現実に、より夢に、より統合性を持たせるために。