銀河の行軍-starting over-
ひとりひとりの兵士が無間地獄から無事の帰還を果たした。ひとりとして夢破れたものはいなかった。片腕を引きちぎられたものもいた、目玉をくりぬかれたものもいた、ひどい拷問にたえたものもいた、しかしだれひとりとして命を落としたものはいなかった。兵士たちの帰還は野営の陣からしっかりと見つめられる。ひとり、またひとりと姿が見えるたびに、あの女の総大将は涙した。ひとりひとりの名前をつぶやき、大粒の涙を流しては祈った。それが総大将の本来の姿とはまだ誰も知らない。兵士たちは傷つき、やっとの思いで帰還したのだから。
しかしその目と、たたずまいは依然とは比べ物にならなかった。あまりにも勇ましく、まさに男であった。総大将は仮面をつけることも忘れてただただ泣いては祈り、戻り見迎えては、また涙し祈りを繰り返した。ひとりひとりの美しさに感動し、美しさを悲しみ、美しさに自分が鼓舞された。
そして最後に帰還したのがあの亮だった。
亮はなにひとつ失わずに帰還したわずかな兵士の一人だった。
亮の背中には真っ黒な羽が生えていた。大きく骨がまだむき出しになった生まれたての羽が大きく瞬いていた。それこそが、大将の右腕なるしるしであると総大将は涙を流すこともなく、決意したようにあの仮面をつけた。重厚で、上品で、そして荘厳なあの特注の仮面を。
執事の甚吾が「総大将、恐れながら」と口をはさむと、あの弱い女の姿は消えていたい。
「誰を恐れるか。兵士のご帰還である。湯は沸かしたのか?」
総大将の声色はもう女のそれではなかった。低く威厳に満ちた、落ち着いたまさに冥界と銀河をまたにかける軍の大将、北の大将のそれであった。
甚吾は震えた。いよいよ総大将が目覚めたと悟ったからだ。深い素早い一礼と共に甚吾は踵を返し、百人隊長に令を下した。
「すべての桶に湯を張れ。看護をするものを呼び集めよ。四の五の言うようであれば、引きずってでも連れてくるように。兵士のご帰還である!!」
百人隊長たちの顔が歓喜した。いよいよ、この戦いがはじまることを、甚吾の張りのある声と輝く瞳から察したのだ。
百人隊長たちは兵士といえども、銀河の行軍に加わることができない。それは兵士といえども身分があり、使いでしかないからだ。
銀河の行軍に加わる兵士たちはわずか。
それをまとめるあの総大将、甚吾は執事であり有能な参謀だ。
役者はそろい、総大将も兵士たちも気持ちが固まった。
湯に入り、いたわりの盃を酌み交わしたのは7日間。十分すぎると兵士たちは恐縮した。前にある戦いに勇ましく誇らしい気持ちを抑え込むこともようやくだった7日間。手綱を引くのに必死だった7日間。自分たちが何のために戦い、何を守るために出兵するのか理解していたからこそだった。
いよいよ、行軍の順路が発表される。
ーーーまず、
総大将はあえてねぎらいの言葉を宣言しなかった。これが阿吽の呼吸であろう。兵士と大将の間には硬い絆がすでに結ばれていた。
ーーーこの野営を明日しまう。そして、南へ進む。最初である、1を基準としなければならないから、100光年先を目指す。
「恐れながら、そこは何を目指しますか?」
亮が聞いた。総大将は微笑した。質問ができる男になったと感じたからだ。
ーーー私たちは常に「言葉」を目指している。言葉は基本であるからだ。
「いえ、そうではありません。敵はどれかという意味です」
総大将はまた微笑した
ーーーすまない。100光年先、南に目指す敵は「喜び」である。
兵士たちはざわめいた。だれもが敵は「怒り」であると思っていたからだ。南に行くことはわかっていた。総大将は内在する悪を一番知っているから自分の故郷を最後の仕上げにすることだろうと噂になっていたからだ。しかし、北が「喜び」でないことに兵士たちは驚いたのだ。
そのどよめきに総大将はまた微笑した。
ーーー知っての通り、私たちの敵は4匹である。「喜び」「怒り」「悲しみ」「楽しみ」。怒りは最も辛辣な敵である。「喜び」は南に、「悲しみ」は西に、「楽しみ」は東に、「怒り」は北に鎮座している。私たちは南ののち西に向かう。そしてこの地点を通過して東を目指し、最後に北へ行く。
今度は兵士たちが微笑した。自分の故郷を「怒り」と的確にとらえる総大将にもはや女の影はなかった。さすが、無間地獄に送り込む強さを持った人だ。兵士たちは納得した。
総大将の仮面はついに、顔に同化していた。美しくも荘厳で上品な仮面は総大将の皮膚となり、血が通い紅潮したりができるほどに。
銀河の行軍がはじまる。
目指すは南に100万光年、敵は「喜び」
「出陣である。敬礼!!」
甚吾のラッパが高らかになる。掲揚された旗に描かれたいたのは蛇と鳩。
銀河の行軍がはじまる。
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