最高の教師最終回 星崎くん

「最高の教師」の最終回を見て、犯人の星崎くんを当てて、ちょっと嬉しかった。鵜久森さんを突き落とした犯人も星崎くんかなと予想していたので、なーんだ違うのかと思っていたが、最後に当たって満足。

星崎くんという人物

星崎くんが犯人かもと予想していたにもかかわらず、私は明確な理由がわからなかった。

九条先生と対峙しているシーンで、彼は彼なりの死にたい理由を語るけれども、その語りを聞きながら、これは受け止める人によって彼の人物像は異なって見えるのではと思った。

おそらく今の子たちは、彼に非常にシンパシーを感じる子が多くいる。つまらなくもないけど、楽しくもない。何となく人と違うように感じる。はみ出るのは恐ろしく、とりあえずいじめられもせず優等生でもなく、真ん中の位置をキープしているけれども、そんな自分が何なのかよくわからない。周囲がモノクロの世界に見える。

昭和世代から星崎くんを見ると、無気力、無感動、心が育ってない、そんな風に見えるのはないだろうか。だが、実際はそうではないと思う。

今の子たち


私が教える生徒たちにもその傾向はあって、とにかく良くも悪くも、はみ出ることを嫌う。優等生が憧れだった時代は今やない。例えばババ抜きのような運ゲーをやっても、途中で「負けでいい」とゲームを投げ出してしまったりする。勝つことも負けることも嫌なのだ。ほどほどの順位であがりたい、これが今の子たちの気持ちだ。

星崎くんの人物像の考察

星崎くんは自分が少しはみ出した人間かもと思った時から、そういうことを人に見せないように過ごしてきた。本当の自分をぎゅーと奥にしまって、みんなの雰囲気に合わせ過ごしているうちに、本当の自分が何かわからなくなってしまった子ではないかと思う。
それゆえ、本当の自分ではないから、感情が動かない。まるで他人が自分に取り憑いているかのような感覚なのではないかと思う。
3年後の自分という動画も見たが「なんか」という言葉を多用していた。そしてそういう自分が存在したことを認めて欲しいという吐露で、涙していた。
彼は今もまだ自分探しをしている気がする。

目立たない問題児

教育の現場では、星崎くんのような問題児?(私は問題児とは思っていないが)が、多くいる。そしてなかなかに難しい。
優等生やちょっと悪い子(この表現が正しいかはわからないが、ドラマでの相良くんのような子)はパワーがある。話すと盛り上がることもあるし、おいおいと思うこともあるが、気持ちもわかる。
星崎くんのような子は捉え所がない。心配すると「大丈夫です」と言う。気持ちを盛り上げようとしても、やらないのも嫌だけどやるのは面倒だと言う。何をしている時間が幸せかと聞くと「別に」と。とにかく白けているのだ。
やんちゃな子が教師に歯向かって「別に」というにと種類が違う。本当にどうでもいいと思っている。

窮屈な世の中と自分

こういう子たちを色々見ていると、窮屈そうだなと思う。でも子どもたちはその時代に生きているので、それが窮屈さかさえ気づいていない。
小さい頃からその子がどういう子かより、平均的であって欲しいという周囲の重圧がそうさせているのか、「人並みに」生きたいというのが、今の子たちの一番の願望であるような気がする。
もちろん他人を傷つけたり、犯罪を犯してはいけないけれど、自分自身を自由に解き放ち、ありのままに生きることのできる環境を、大人である私たちは用意してあげなくてはいけないと思う。

#テレビドラマ感想文

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