心理現象を測定 知能と正規分布
1905年にフランス人の心理学者であるアルフレッド・ビネーは、弟子のシモンと連名で小児の知能テストを発表した。これは世界で最初に作られた知能テストだった。ビネーの知能テストは心理現象の数量化を試みた最初の取り組みの一つでもある。
ガリレオ・ガリレイの言葉に「計測可能なものは計測し、そうでないものは計測可能にしよう」がある。知能を数量化することにより近代心理学が始まった。
その後の研究により、知能テストの得点は釣り鐘型、つまり正規分布に似た形を示すことが明らかになった(図1)。当時研究者はこの事実に大いに沸き立った。この事実は知能という現象を理解するための大きな手がかりになると思われたからだ。実際、知能テストに対して正規分布モデルを適用する動きが始まった。
知能テストの正規分布モデルとは知能指数(IQ)のことである。知能が正規分布に従うという仮説の上で、知能指数の平均値は100、標準偏差は15と定義する。知能指数が85–114の間に約68%の人が収まる。IQ70-84の割合は約14%であり、境界知能と呼ばれる。IQ70未満は知的障害と呼ばれ、その割は約2%である。
知能テストの得点が正規分布に近い形を示したという事実は、心理統計学が発展するための礎となった。そして現在の心理統計学においても、正規分布の存在感は非常に大きい。正規分布を前提とした統計手法を用いてデータ解析を行うのが心理統計学の王道と言ってよい。知能指数や因子分析は正規分布を想定している。しかしその反面、正規分布の存在感が大きすぎて、それが逆に心理学の発展を阻害しているのではないかと感じることもある。
実は、これまで発表された心理学系統の過去の論文を解析したところ、データの多くは歪んだ非対称的な分布であった(Bono R, et.al. Front. Psychol. 2017)。心理現象のデータは正規分布以外の数理分布に従う可能性があるということである。知能テストのスコアは正規分布に従うのかもしれない。しかし他の心理尺度のデータまで正規分布に従うとは限らない。
心理学者は毎年さまざまな心理尺度を発表する。本来なら心理尺度の提唱者はその尺度スコアがどういった分布モデルに従うのかを明らかにする責任がある。分布の形はその現象の仕組みを反映するからだ。しかしそういった研究はあまり行われない。せいぜい正規分布に従うかどうかを検定するぐらいである。
心理尺度のデータが正規分布に従わない場合でも(サンプル数が1000を超える心理尺度データで正規性の検定を満たすものはほとんどない)、どんな分布モデルに当てはまるかまでは分析しない。心理統計学の研究者は正規分布以外の分布モデルに関心がないように見える。
データが正規分布に従わなければ、ノンパラメトリック手法(分布の形を想定しない検定法)を使えばよいのではと考える研究者もいる。しかし私が指摘したのはそういった統計手法の問題ではない。心理現象は正規分布以外の分布に従うのか、そういった基礎的テーマを追求する研究が必要ではないか、という意味である。
しかし逆に考えると、分布の形に興味を持つ研究者が少ないおかげで、私のような門外漢が、抑うつスコアの分布の研究を始めることができたとも言える(私はもともと精神薬理が専門で、心理尺度や統計学の専門家ではない)。もし多くの研究者が心理尺度の分布モデルに興味を抱いていたなら、抑うつ尺度の分布の数理パターンなど既に研究され尽くされていただろう。そうなると、私が抑うつスコアの分布の形に興味を持つこともなかったと思う。
文献
1)Bono R, et.al. Non-normal Distributions Commonly Used in Health, Education, and Social Sciences: A Systematic Review. Front. Psychol. 2017 8:1602.