私のかわいい地獄

はじめまして。21歳学生です。勢いでノートを始めてみます。
人には人の地獄があるとよく耳にするので、私の地獄についてはなしていこうと思う。つらつらと書き綴っていきますし、私は文章を書いたことがないので、感情的で読みにくい文になっていていると思うけど、許して欲しい。


私、食と見た目に対する執着がバケモンレベルなんです。

 友達と中学の頃行った「超10代」っていうファッションイベントで某大手芸能事務所2社にスカウトされ(養成費諸々かかるやつ)、また別の日、習い事の帰りに親と原宿の竹下通りを歩いていた時にもスカウトされて、芸能に興味持った親に、書類を送られて合格した小さい養育費のかからない事務所に入れさせられそうになった。そこでの面接?で、当時部活を頑張っていてそのせいでガリガリだったのにさらに5㌔痩せるダイエットさせられた。小さい事務所の面接の時、前歯が大きいことと二の腕が太いことを事務所の大人にいわれて、今まで全く気にしたこと無かったのに急にコンプレックスに感じた。でも、母親が私がスカウトされて嬉しそうにしていてこれだ!と思った。母にこんなに興味を持って貰えたのが初めてで嬉しかった。
 私の家は厳しく、門限やルールがたくさんあった。今まで、色んな習い事をさせてもらったが、運動神経のいい妹、頭と要領のいい姉には何をしても勝てなかった。(習い事を経験としてさせて貰えたことは感謝している)三姉妹の真ん中で2人に比べられて育ったから、何も出来ない私は母親の顔色を伺うのが上手くなった。
結局部活もあったし、芸能事務所は一瞬所属して、何個かアーティストのMVに出たりCMや映画のエキストラをやってやめた。必要はなくったけど、母親の喜ばせる方法が痩せることしか分からないので、相変らず痩せる努力は続けた。栄養を吸収しなくする海外のサプリも、怪しい薬もとにかく色んな種類を飲んだ。(その時、いろんな友達に良かれと思って勧めてしまったのは申し訳なかったと思ってる)
私が痩せるとその分母親は褒めてくれた。家族のなかで私だけに注目してもらえるのは快感だった。朝は小さいおにぎりをひとつ、昼は普通にお弁当を食べてるフリをし半分学校のゴミ箱に捨て、夜ご飯に、もやし半袋にポン酢をかけたものと薄めた味噌汁しか食べなかった。多い時はうどんも半玉食べるようにした。どんどん痩せていった。他の姉妹に比べ出来の悪い私にとって初めての成功体験だった。学校でも色んな子に褒められたし憧れられた。すごく嬉しかった。でも、体は悲鳴をあげていて、うどんがものすごくゆっくりなペースで3本しか食べられなくなり、生理が来なくなった。あばら骨も浮いてみえていた。学校の体育館で体育座りするだけでおしりの骨が当たり痛いのでパンツにハンカチを挟んでじゃーじを敷いていた。椅子に座る時は座布団を持って言って敷いていた。骨が見えてても、生理が来なくても痩せるのがおかしいことだとは思わなかった。
この頃、Twitterで美容垢兼ダイエット垢を始めた。美容垢がすごく流行っていた時代だった。ダイエット頑張っている子と繋がって、自分の情報も頑張りも見て欲しかったので発信した。欲求が満たされて本当に気持ちが良かった。そこで知り合った子が過食嘔吐をしていた。食べた分吐けばいいなんてなんて画期的なんだと思った。それから、バイトして毎月貯金してた1万円、親から抜かれる分(ケータイ代などもろもろ)と遊ぶ金以外をすべて食べ物に使った。指と腹筋で吐く吐き方をAmebaのブログを見て覚えた。
当時仲良かった可愛い友達に話したら、その子は下剤を飲んでいて、『なんだみんなやってるんじゃん。』と思ったのを覚えてる。それから、学校で毎日一緒にいた友達と一緒になって過食嘔吐した。初めは面白半分、すぐにやめればいいとおもっていた。Twitterの子や友達がしていたから全然おかしいと思わなかったし、なんだかんだ楽しかった。
初めは太らなかったけど、吐き残しがすごいのかじわじわと太った。
 思春期だったのもあり親に怒られたタイミングでもあったしすごく病んでしにたくなった。初めてリスカした。何も上手くいかなかった。その頃、チューブ吐きについて知った。チューブを直接胃の中に突っ込んで吐くやり方で、吐き残しが少ないそうだ。友達と練習のために細いチューブを、ホームセンターに自転車を40分漕いで買いに行った。その当時は上手く飲み込めなくて2年くらいそのチューブは使わなかった。
 高校を卒業し、酒を覚えたので飲むようになり、次第に過食しても吐くことは減った。酔っ払って家に帰ってすぐ寝るからだ。未成年の頃、親に隠れて酒を飲むのが楽しかった。縛られて育ったので賑やかでみんな自由で気が大きくなっている飲みの場は新鮮だった。大学生になって一旦過食は落ち着いていたと思ったが、部屋に落ちてたチューブを見つけてチューブ吐きを練習した。酒の飲み過ぎで太ってきたからだ。初めは上手くいかなかったけど、コツが掴めた。喉に指を突っ込まなくていいし、涙目にならないし、唾液腺が腫れて顔がパンパンになる心配もない。段々吐きやすい太いチューブになっていった。胃の容量も上がっていき食べる量が増えた。上手く吐けるのでどんどん痩せた。また、どんどん痩せていく私を見て母が過食嘔吐に気がついた。チューブを捨てられた。あんなに頑張って胃に当たっても痛くないように加工したのに。捨てられたことが悲しかった。病院に連れていかれた。診察室には1人で入り、食事を管理するように指示された。そのことを母に病院は伝えなかったので私も言わなかった。母も私に興味が無いので気にとめなかった。
昔、太いと言われた二の腕がまた気になり始めた。秋休みと冬休みで何十連勤もしたお金、大一の時にあった交通事故で貰った慰謝料のお金で二の腕脂肪吸引をした。ついでに唾液腺にボトックスも打ってくれた。DTは想像してたよりもきつくて毎日死にたかった。初めての全身麻酔。2日間泣いた。同級生の幸せそうなインスタを見て、なんで私はこんなことをしてるのかと死にたくなった。DTは医師に言われた通り過食嘔吐をやめて毎日着圧着を着て、インディバ(DTをみじかくするやつ)を月に2回整形した新宿のクリニックまで通って受けた。
その時、容姿に執着しているなとやっと気がついた。 DTが終わる頃にはそんなこと忘れて、今までと比べて細い二の腕を見て嬉しくなった。二の腕には麻痺した感覚が残っていて触るとまだいたかった。手軽にコンプレックスが無くせることがわかったので、次はずっと気になっていたところを治そうなどと意気込んでいた。あんなに辛かったDTよりもキレイになる喜びの方がおおきかった。その後、色んな美容外科を時間が許す限り回った。歯列矯正は高くて諦め、前歯を治すのではなくかわりにおでこにヒアルロン酸注入し、他にもいくつか治療した。やはり整形はすごく痛かったが、「かわいい」になることには変えられないので耐えた。DTはやはり辛くて痛くて涙が止まらなかった。こんなに見た目に執着したくなかった。ダイエットも整形もしりたくなかった。未だに私、過食嘔吐がなおらない。親ガチャという言葉が最近流行っていて色々考えてしまう。結局、過食嘔吐する意志を持って選んだのは私なのにね。こんなふうになると思わなかったな、思いたくなかったなんて考える本当に自分が嫌になる。おんなのこって難しくてだいきらい。でも可愛くないならしにたいからこんな地獄でも仕方ないとも思う。

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