青春22切符 各駅片道8204円


 福岡に1人で住み始めて5年が経ちます。1人で土地勘のないところに転がりこんで、四六時中、福岡の地面を踏んでいたら、気付いた右も左も分からなかった未成年は、世間的には立派な22歳男性になっていました。


 小さい頃、父親が転勤族だった関係で、色々と住む場所を点々とすることが多かったです。その度に友達は更新されていき、「幼馴染」という言葉を自分で発することが、永遠に叶うことのない人生を送ることになりました。もしかしたら転勤族の人はわかるかもしれないですけど、地元愛というものが、ずっとそこで生まれ育ってきた人よりもどうしても希薄になってしまいます。なんというか、土地への執着というものが剥がれている感じです。地元に愛も希望も持てず、かといって恨むことも呪うこともできません。


 転勤族の親のもとで育った子供は、いつだって挑戦者です。知らない土地、知らない人々、知らない景色、知らない風、何もかも知らない新しい世界を、何色に染めるかの権利が与えられています。新しい世界に入る時、まるで新しいゲームを始めるかのように、自分を新しい自分に作り替えて、足を踏み入れようとしたことを、こんな僕でも覚えています。

 福岡。何も知らない街。


 知っている人もいない、知っているお店もない、知っている風景もない。そして、後ろでそっと支えてくれた両親もいない。何もいない。あるわけがない。手ぶらな状態で1人で挑むニューゲーム。とても緊張しました。


 でも、今では当たり前のように、我が物顔で福岡の街を練り歩く。5年も経つと、あっという間に新鮮だった世界は、鮮度を落とし、体に馴染むようになっていました。

 就職について考える年齢になりました。学生から社会人への進化です。ずっと地元で育ってきた人は地元に就職すると言っていました。土地に依存してるみたいでした。なんなら、最初の3ヶ月の東京での研修が憂鬱で仕方ない、片時も福岡から離れたくないと言っていました。

 気持ち悪さを感じる反面、やっぱり少し羨ましい気持ちの方が強かったのが正直なところです。転勤族のメリットなんて、少し土地勘のある場所が増えるくらいしかありません。友達も度重なる引っ越しでリセットされ、場も環境もリセットされ、やがて期待も希望も執着も捨てた透明で白濁とした自分がただ立っていました。

 以前も書いたように、福岡に一人暮らしを始め、1人の時間に慣れてきて、ちょうど郷愁を感じたいなというタイミングで実家が引っ越しました。

 住み慣れたよく知ってる街から、知ってるけど体の馴染みが悪い街に実家が移り、実家にいても見える風景はどこか納得できない、というか、なんか違うと思い続けて、実家に帰ろうという意識が少しだけ薄くなっていきました。


 実家のある広島県にはとても感謝をしていて、僕はかけがえのない思い出や、一生の付き合いと断言できる友達と沢山出会いました。きっと僕は、広島で中高を過ごさなかったら、今時もうこの世を離れてもおかしくなかったと思います。

 なのに、知らない間に、感謝はしているけど、落ち着かない、どこか、他人になってしまった感じを広島に抱いています。例えるなら、仲良かった落ち着いた感じの幼馴染と久しぶりにあったらヤンキーになってて、金髪で、すごく車高の低いワインレッドのシャコタンに乗ってて、あれ?思ってたのと違う?変わっちまったなぁおい!と言うあの感じに近いと思います。

 だから僕は、広島の目の前を通り過ぎる時、少し襟元を正してしまいます。

 きっと地元愛のあるやつは、やっと落ち着く場所に帰ってこれたと、襟元を緩めることでしょう。

 地元愛も、地元も愛もロクに知らないまま空を眺めながら今日も、人生という名の遅い各駅停車の列車の中で空を眺めます。片道切符を大切に握りしめながら。

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