母の病と共に(4)義父の手術で気づいたこと
母のがんが見つかった数年後、義父もがんを患いました。義父の手術を機に、私たち夫婦の在り方を少し考えなおした話です。
写真は「みんなのフォトギャラリー」から使わせていただいています。ありがとうございます。
私の母の時の場合
私が母に付き添おうとすると、夫に子ども達を託すしか術がありません。
基本的に家事は一通り出来て、子ども達の世話も出来て問題がないのですが、夫に預けて外出する場合は夫の手が煩わしくないように予め準備をして、なるべく最短で家に戻るようにしていました。そして基本的に預けることにならないようにしてきました。
当時はごく自然に子どもは私がみるものだと思っていました。単身赴任の期間があったからこそ余計にそう思う部分もあったと思います。
母が病気をした最初の頃は病院にも一緒に行って話を聞きに言っていたのですが、次第に病院関連のことは母と一緒に住む妹にお任せするようになっていきました。
義父が手術する日
がんは種類や状況に応じて抗がん治療をしてから手術する場合や、手術してから抗がん治療をする場合があります。
義父の場合は見つかってから早い段階で手術だったのですが、その時夫は有休を取り、1人で帰省して付き添っていました。
当時、義父は義母と義弟と一緒に住んでいて、早期発見だったのでつい夫がわざわざ行く必要あるのかなと私はもやもやしたまま送り出しました。
今住んでいる場所は自分の実家からかなり遠いので、夫は連泊して付き添いをしていました。
その時、夫に対してずるいと感じてしまいました。
自分の気持ちと向き合う
どうして夫に対して嫌な気持ちになってしまったのか、この答えを出すのは時間がかかりました。
時間が経過した後も時々思い出してはイライラしてしまいました。
夫は有休で会社を休んで、私に子どもを預けて数日家を空けても全く問題がないのです。当たり前すぎて罪悪感をほとんど持っていないなと思いました。
でも、裏を返せば、私は夫に子どもを預けて一人で対応するチャンスを与えて来なかったし、母に付き添いたい気持ちを相談して対応してもらえないか働きかけをしてこなかった。という結論に達しました。
それに気づいたのは母が亡くなって1年以上経ってからです。
時間はかかるし今も出来ていないけれど
母は亡くなったけれど、少しずつ夫に子どもを任せることにしました。
私が病気や事故などで急に何も出来なくなった時、私も夫も子ども達も安心して過ごせるようにしたいと思ったからです。
手始めに、ずっと夫婦一緒に行っていたテニス大会の帯同を夫にお任せしました。
大会に参加している間の飲食や、主に外での競技なので、場合によって日焼け止めや虫対策が必要なのですが、どうするかも含めて全てお任せしました。
最初の頃、何でも対応できる夫でもかなり戸惑っていましたが、今はそれが当たり前になりました。
そのことは別に記事にしています。
ずっと1人で子どもをみてきたとずっと感じてきましたが、最近は夫に任せている部分もあるからこそ、家族のバランスが少し良くなったと感じています。
それでも夫にお任せして数日家を空けることはまだしていないし、しないまま子どもの方が巣立ってしまいそうですが。
首都圏に住み続けていれば子どもが結婚するまでずっと一緒に暮らすということもあるでしょうが、現在福岡に住んでいて、子ども達2人ともそれぞれ大学進学で家を離れる可能性が高いので、一緒にいられるうちは家族4人の時間を大事に過ごせたらなとも思っています。
どちらかが我慢しない夫婦の在り方
それぞれの親が病気になったことで、自分が夫に相談することなく勝手に我慢していることや、子どもを任しきれていないことなど色々な気づきがありました。まだ勝手に我慢はしてしまいがちなのですが、夫とこれからも仲良く等身大で一緒にいるために微調整していきたいなと思っています。
義父は手術と抗がん治療を繰り返しながら生活しています。だいぶ体力が落ち、背骨の圧迫骨折があって思うように体を動かせないことも増えたみたいです。
でも病気に関しては毎回きちんと発見されて治療しているので、体力が回復して元気に過ごせる時間が多く増えるといいなと思っています。
そして、夫が割と0か100かで人と関わるところがあるので、程よく義両親や義弟家族と繋がってほしいなと思っています。
人と人が繋がるにはお互いが気遣いと思いやりを持ち、何より我慢しすぎないことが大事だなとつくづく感じています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回は母が年明けにがんが再発し、抗がん治療を受ける準備としてウィッグを作りに行った時の話です。
来月8日投稿予定です。
よろしくお願いします。