「京都と禅と革命」の声 ー大学生最後の夏休みを振り返ってー
2021は「すごい」年だった、とまだ三ヶ月以上残っているのにそう形容したくなる。混沌と混乱と狂熱は、確かに僕と一緒に来た。だがたとえこの夏休みが僕にとって有意義であっても、決して「楽しい」ものではなかった。もちろん楽しかったことはたくさんあった。だがそれ以上にとても過酷で、いやというほど現実を突きつけられる夏でもあったのだ。
思えば2月の初めから、それは既に始まっていたのかもしれない。新年から心を入れ替え、一ヶ月ほど計画的な勉学や運動を続けることに成功し、資本主義的な自信をつけていた僕を襲ったのは、築400年強の大いなる歴史であった。上の階の下水管が老朽のため破裂したらしく、我が下宿の天井からは滝のように下水が降ってきた。お気に入りの敷布団やジャケットなどは完全に沈黙、避難先に警察はくるわwifiはないわ採点バイトはアホみたいな量を課せられるわで散々な目に遭っていた。住む場所を失った僕は仕方なく日本に戻り、することもなかったので坂口安吾のように京都の某氏の家に居候することにした。
これが僕の夏休みの始まりである。
去年の9月からイギリスにいた僕にロックダウン中に会う友達もなく、日々孤独と煙と三人四脚で過ごしてきた僕にとって、実に半年ぶりの友との触れ合いであった。それだけではない、懐かしい旧友や新しい友人にも恵まれ、学業そっちのけで僕は京都での生活を楽しんでいた(だが授業も課題も全部オンラインだったので、しっかりと単位は取れた。クズになりきれないクズこそが最もクズである)。そうして思うのは、自らの将来に対する選択肢の広がりとそれに対する葛藤であった。
この夏を通して芽生えた想いの一つでもあるが、僕は働きたいのだ。自らをプロレタリアートの地位へと貶め、ブルジョアたちにルサンチマンを抱きながらせっせと目の前の労働に没頭する、そんな生活に密かに憧れているのだ。大半のFラン大学生(このFランには外山恒一先生の定義を採用して東○大学を含む我が国最高学府以下の大学を指す。結局は全ての大学である)は口々に「働きたくない」と半ば冗談で、半ば諦めでいうのだが、僕はそんなFラン人民とは違い、積極的に社会に貢献したいのだ。この時点でもはや評価されるべきであろう。俺偉すぎる。
だが、そんなAラン人民の僕は、あろうことか学問というとんでもない悪魔に取り憑かれてしまったのだ。Fラン大学である京◯大学の連中なんぞFラン人民もいいところなのに、彼らとの触れ合いは僕をますますFラン人民へと堕落させようとしてくるのだ。彼らは知識という暴力を行使し、Aラン人民たちを麗しき資本主義社会から引き摺り下ろそうとするのだ。
僕もその被害者の一人である。
Fラン大学への院進。ぼんやりとしか考えていなかった僕にその居候生活は鮮烈なイメージを沸かせた。それはそうだろう。居候先にひたすら勉学に打ち込むモラトリアムなルンペン・プロレタリアートがいるのだ、どうして影響されずにいられよう。
そろそろアイロニー抜きに話そう。僕はもうすでに学問という悪魔に取り憑かれてしまっている。学ぶことは楽しい。だからこそ大学院ではより知識を吸収したいのだ。文系の院に進学したら就職しづらくなると言っていたが上等である。なんならいっそ国立の院にでも行って、就職したプロレタリアートたちの税金を湯水のように使用して悠々と学問を学びたいものだ。
だが僕の夢は何も学ぶことではない。正直なところ、僕にとって学ぶことは楽しいことであっても目標ではない。自らが博士となり一分野において偉大な権威を持つことも、論文を書いて評価されることも望まない。純粋な楽しさを望むが、その果てには何も存在しない。僕にとって学びとはゲームや旅行と変わらない。それを達成したからと言って、別段何も起こりはしないのだ。
ではなんのために学ぶのか、それは次の世代に「教える」ためだ。僕の夢はそこにある。どんな形でもいいから、子供たちに教えることができる「先生」になるため、そのために僕は学ぶのだ。
その夢は、4月の終わりからはじまった寺修行でより輪郭を帯びていく。「哲学のために禅を学ぶ」などというのは建前で、本当は「自分」という人間の心根を叩き直したかったのだ。人を面白半分で傷つけ、ブラックユーモアを愛し、無意識のうちに愚劣な言葉を使う自分が、どうにも許せなかったのだ。そうだ、本当は寺修行を通して僕は僕を許したかったのだ。きっと寺で修行に打ち込めば、少しはマシな人間になって、僕は僕を許せるようになるだろう。そうすれば今までの罪が全部精算されて、新しい人生を歩むことができる。そうして人は僕を許してくれて、僕はもう何も悩まなくていい。そんな甘くて気持ちの悪い期待を胸に込めていた。
でも現実はそう甘くなかった。そこで自覚させられたのは、あろうことか「自分」という人間が、どうも自分が思うほどひどい人間ではなかった、という事実である。それは僕が個人的に作った「基準」ではなく、社会の「基準」によって晒された「事実」であった。
勘違いしないでほしい、それは確かに僕に「僕は社会不適合者でもなんでもなかった」という自信を少しは与えてくれたかもしれない。だがその自信は逃げ水のようにぼんやりと遠くにあるだけで、どうやら決して近づくことはできないらしい。そんな幻想よりも僕を日射のように直撃したのは、今までの全て、忘れたい罪咎全ては絶対に僕から離れないということだった。例え僕が僕を許したところで、彼ら彼女らは僕を許さないだろう。今まで嫌な思いをさせた、そしてこれから嫌な思いをさせるであろう、時間軸を超えた他者の集合体は、僕の背中に大きな十字架となってひっついてくる。僕は結局悪人ではなかった。それは相対的な社会評価である。寺で様々な人間に触れ合うことによって、僕はいろんな感想をいただいた。「しっかりしている」「頼りになる」「頼もしい」「優しい」「行動力がある」「リーダーシップがある」。だが例えそんなもの(もちろん僕はこれらが自分にあるとはさっぱり思っていないが)を評価されたところで、僕のこの根底にある懺悔の気持ちは解消されはしないのだ。禅の教えはさらにこの僕の気持ちを突き放していく。自我など初めからないのだから、悩みなどに囚われる必要はない、と。ならばなぜ僕はこうも囚われなければならないのだろうか。なぜ「罪」とか「僕」とかそんなものに執着して、昔の出来事を思い出して意気消沈して、日々の中で言いたいことも言えない煩わしさに悩まなければならないのだろうか。禅とは卑怯である。なんでもかんでも「禅」といえば解決すると思っているのだ。座禅なんて組んだって、日々の煩悩の中でわからなければ何も解決なんかしないのに。
だがその三ヶ月の中で学んだこともまた、否定しようのない事実である、確かに僕の罪は消えないし、悩みは僕に取り憑いたままだろう。それでもあの「無我」とやらが西洋哲学や宗教のように「真理」が如くはるか遠く僕らの外側にあるのではなく、ただそこに「ある」のだとしたら、僕は全力で「今ココ」を生きなければならない。それは何にも囚われない、大いなる集中である。そこには僕の抱える理性的な「悩み」などない。「心」もない。あるのはただ「無」だけだ。そしてその「無」こそが僕のくだらない悩みを消しはしなくとも「遠ざけてくれる」手段であり、目的地であり、そしてそれを否定するものなのだ。だから座禅は続けていこうと思ったし、自我などないのなら、合理的な損得などかなぐり捨てて、「他者のため」に自らの心身を捧げることこそが真に僕が今必要なことではないだろうかと自覚したのだ。
その気付きが、一番の収穫だった。僕は人にものを教えるのが好きだから先生になろうと思っていた。だがここにきて、僕は真にその所以を理解した気がする。世界が大いなる流れであるとしたら、僕は仮の一点に過ぎなくて、僕はそのうちその大いなる流れに回収されて気泡のように消えていく。だがその流れを次に「つなげる」ことはできる。もちろんその流れに終わりは来るし、目的地なんてありはしない。でも、それでも、だ。僕は伝えたくて仕方がないのだ、「優しさ」というものを。
他人のために生きる、それは自己犠牲ではないし、自他境界の崩壊でもない。人間が個人で生きる一匹狼ではなく、ミツバチのような群れの生き物だということだ。だから養老孟司がいうように、僕らは絶対に「人に優しく」することを覚えなければならないはずだ。僕らは大いなる流れで、その流れが続いていくのだとしたら、その「繋ぎ方」を僕たちは学ばなければならない。「意味」などの大きな物語など必要ない。そんなものを掲げたら新左翼的な暴力へと平気で走るだろう。違うのだ、そうじゃないのだ。「論理」や「理性」なんていうのは二の次で、意味や理論を剥ぎ取ってもなお、僕らの前には大いなる現実が立ちはだかるのだ。だからどんなにテストでいい点を取ろうが、どんなに高尚な理念に生きようが、この「現実」には勝てやしないのだ。「お前が生きている意味なんてない」と言われて、言われたその人がその瞬間死なないのと同じ理論だ。誰に何を言われようと、どんなに役立たずと罵られ、最低と人に言われて、容量よく演技なんてできなくたって、それでも生きているのだ。ただ生きる、生きている。
だから「優しさ」なのだ。「優しさ」は理論なんかでは表すことはできないし、人類が皆同じ基準を有しているとは限らない。しっかりとした基準があれば「ありがた迷惑」なんて言葉は生まれてこないだろう。だが仏教的な優しさはこの「ありがた迷惑」は未熟な証拠として否定する。もし真に無我の境地に達した人間ならば、その状況に合わせて、考える前に体がその状況に応じた一番良い行動かを実践するそうなのだ。それは論理的な話ではなく、刀職人が物差しを使わずとも長年の経験によって寸分の狂いもなく正確な刀を生み出せるのと同じ話らしい。だから本当に優しい人は、理屈抜きで、絶対的に優しい。例えそれが妬みやルサンチマンで悪意を持って捉えられたとしても、である。なぜならそれは良い理屈にも悪い理屈にも還元されることがないのだから。
僕は全くもってこの境地に達していない。でも、いや、だからこそ僕は自らが実践するとともに次の世代に教えていきたいのだ。禅問答は悟っていない老師が弟子に悟りを教えられるように考案されたそうだ。僕は世俗が大好きだから、僧侶になることはないだろうけど、だからこそ僕は学問を用いるのだ。僕はぺこぱの松陰寺さんのこの言葉が大好きである。「知識は望遠鏡だ、見えないところが見えてくるだろう」。曰く、いろんなことを知れば、人を傷つける言葉やその背景がよく分かって、それを避けれるようになるとのことだ。なるほど、知識は「ある」ものを振り回して自慢するのではなく、「ない」ものに焦点を当て、この世界のことを知って、そうして人に優しくできるようになることに違いない。
そういう「知識」という意味では、この外山恒一氏の合宿は非常に有意義だったと思う。様々な大学、様々な地域、様々な専攻、様々な背景、そうしてそれらを有した様々な学生が一同に介して行われたこの日本新左翼運動史を学ぶこの合宿では、自分の身の回りがいかに政治と密接に結びつき、いかに、世代を超えて繋がっているかをまざまざと学ばされた。何を学んだかはここでは書くまい。書きたい気持ちは山々だが、それは合宿に行ったものにのみ与えられる特権的知識だと理解している。興味がある人間は直接参加してみると良い。
だが抽象的に言うならば、誰一人として、本当に自らを「悪人」だと思っている人間などいないと言うことだ。笠井潔だったか立花隆だったか忘れてしまったが、殺人もテロも、彼らからしてみれば大義を貫くための過程に過ぎないと言っていた。暴力は手段であり目的であるのだ。革命こそが常に世界をよくするという考えに取り憑かれ、現にそれを現実世界で実践した人間もいた。
だがいつだって結果は同じで、それが長続きしたかはともかく永続的に存在したことはない。結局理念に走れば、現実がそれを必ず阻むのだ。そうでなければドイツはいまだに二つに別れているはずなのだ。
だが例え理念による変革が無意味で空虚なものだとしても、「行動」それ自体が常に変化を促してきたことを見過ごしてはならない。それが彼ら彼女らの意図した結果ではないにせよ、である。
学生運動なんていうものは今日では凶暴で過激で若気の至りというマイナスイメージがついてまわる。新左翼運動史を10日間みっちり学び終わったはずの今でさえ僕はこのイメージを拭えていない。
それでもあの運動のおかげで、今日の差別問題や環境問題が可視化されたことは、評価しなくてはならないはずだ(もちろんポリコレなどという厄介な魔物を創り出したことも「一定」の評価をしなければならないが)。若い熱いが否が応でも未来に影響を、良い方向と悪い方向同時に与えたことは、賛否両論あるにせよ我々若き血が学ばなければならないことのはずなのだ。
外山合宿で学んだのは、そんな「熱」である。現に合宿生には、そんな「熱」を持った連中がたくさん集まっていた。僕らはその熱が過去にどのような動きをみせ、今日に至るまでどのような方向へと進んでいったかを学んで、参加者たちの熱はさらに高火力になっていた。
だから感化されたのだ。別段今でも学生運動なんてするつもりはないし、あいも変わらずネット上の政治論争からは身を遠ざけるだろう。だが我々の身近に政治がある限り僕はしっかり参加をするだろうし、アカデミズムの世界で政治的思想がきっても切り離せないものとして存在する限り、僕は学ぶことをやめないだろう。合宿は僕に新しい望遠鏡を与えてくれた。それは見えないものを見せてくれて、あたらしい世界をはっきりと僕の中に表した。
そうしてその発見は、僕の夢をさらに後押しする。「優しさ」を考えるための学問と、それを行使するための熱という名の「力」。僕のスタンスはここに完結されるだろう。だから例えば君の周りに問題を抱えた当事者がいないのに、安っぽい同情だけで政治運動やポリコレ言説にのめり込むのなら、それは愚行以外の何者でもない。でも、それでも、だ。君の友人や恋人や家族が問題を抱えていて、それを君が動くことによって少しでも手助けできるのであれば、それは積極的に行動するべきなのだ。自分のおばあちゃんが車椅子に乗っていて、住んでいる地域に全然スロープがなくて、なおかつ同じような困りごとを抱えている人がいれば、一緒になって行政に訴えかける。暴力なんて必要ない。必要なのは優しさと行動だけだ。それだけで世界が少し良い場所になるのなら、それはとても良いことではないだろうか。「世界革命を起こし、人民に真の平等を与える」などと言いう大きな物語なんてクソ喰らえだ。そんなのは過激なロマンチストの妄想に過ぎない。身近なことにすら目を向けられず、店員さんに水を注いでもらったときに「ありがとう」の一言も言えないやつに、一体世界の何を変えることができるのだろう。そんな勘違いに取り憑かれた人たちにならないために、僕は「先生」として教えたいのだ。例えそれが学校という監獄のような場所でなくても良い。大勢でなくてもいい。ただそれを、誰かが心のずっと奥の方にそのタネをまいて、水をあげて欲しいと願うばかりである。それが僕の夢であり、本望であり、この合宿を通して学んだことである。
あと少しで僕はイギリスに戻るだろう。大学生最後の一年である。でももう今までの僕はどこにもなく、これからの僕もどこにもいない。今なんだ、今ここなんだ。ここにいる僕こそが本当で、震えるほどの大事件なのだ。そうしてそんな僕に京都と禅と革命とが語りかけてくる。33度の夏に熱せられながら、僕はその声に耳を傾ける。彼らが奏でるブルースは、どこまでも加速していくようだった。