描く事と、吐く事。
絵は私にとって溜まった感情の吐き出し口みたいなもので、唯一の縋り先でもある。
勿論、出来た子は可愛い可愛いと周りから見てもらいたいし、そうしてもらえたら嬉しい。
吐露した感情が行き場をなくした結果、絵に収束しているのだから、絵は感情の集積場でもあり私自身の思想その物ともいえる。
子供なんていらない。絵さえあればそれでいい。
我が子の顔を見たいと切望していた時期もあったが、もうとうにそれも枯れ果てた願いで、自身の醜い血など残すなんて考えられない。
姉はまた赤ちゃんがほしいと言う。
正直もう勘弁してくれとも思うが、彼女の自由なのでそれは奪えないし、言える立場でもない。
表上でも歓迎して祝福しなければならないのだ。
このドロドロを詰めた様な家庭に更に命がまた産まれるとしたら、私はその子を愛せるだろうか?
『愛しなさい』と、そう言うのでしょう。家族は。
そう私に教えるのでしょうね。
股から生まれて、産声をあげて、寝返りが打てるようになって、ハイハイをして、立てるようになって、喋れるようになって…。
姪と甥と同じように『愛さなきゃ』いけない子として、当たり前の顔で、皆から愛されるのでしょう。
想像しただけで、震えてくる。