あの日感じた感情
私は昔から母と折り合いが悪く、長い間まともな話も出来ないような関係でした。
20歳の秋、転がり込む様に他県へ住む彼氏の元へ引っ越してから3年。
もう同棲は解消して、地元に戻ってきていますが、その間の事を書こうと思います。
その頃は特に鬱の状態が良くなく、毎日激しい希死念慮に襲われる毎日でした。耐えきれず母親に縋り付く想いで電話すると、次の日母から大量のお菓子がダンボールパンパンに送られてきました。
母なりの心配とこれでも食べて何とか頑張れの意だったんだと思います。が、それを見た瞬間。
もう何年も会っていないのに、私の好きそうなお菓子を選んでこれらを買ったのか、どんな思いでこれらをダンボールに詰めたのだろうと
思い出してくる母との思い出達は、比較的食に関することが多く、嗚呼、このダンボール一杯の食べ物こそが愛情の塊だな。と思い、ずっと泣いていました。
母の愛を上手く受け取れなかった何年間。
私は良い娘ではなかったでしょう。お母さんにただ話を聞いてほしかった。抱きしめてほしかった。なんでそんな簡単なことが私達は出来なかったんだろう。
今ではもう出来るのに、なんで。
そこから私は、食にスポットを当てて、写真を取り始めました。特にケーキです。
色々な装いはどれも可愛らしく、愛されるために生まれてきた様な存在が、女の子を擬人化するのならケーキだなと感じたからです。
それを崩して、食べられるまでの写真を撮る事に熱中しました。
足りない愛情を食に求めて、私は狂ったように何枚も何枚も撮って、今ではケーキが可愛い女の子に見えます。
勿論撮ったあとは全部食べてますが、食べ物は生に直接繋がる愛情だな、とあの時深々感じました。
ケーキを崩して写真を撮るということは、私にとって、精神陵辱であると共に、食べ物への有難みと愛情を再確認する行為です。
今年もイチゴがスーパーに並ぶ季節がやってきましたね。私は今年もケーキの写真を沢山撮るでしょう。