手カレー (2024年8月の日記)
ある夏の午前、洗濯物を干しにベランダへ出るとそれはそれは突き抜けるような快晴で、カレーを食べたくなった。いつからか、カレーと快晴は切っても切れぬ関係になっている。昼頃になってやっとドミのベッドから抜け出して、道中でペットボトルの水を買って、ガート沿いを散歩して、真正面から突き刺さる太陽光と目眩のしそうな熱気に揉みくちゃにされながらカレーを食べる。カレーといってもそれはダールであったりコルマであったり。そのあとに美味いラッシーをキメてベッドに戻り、24時間の旅路につく。最も無意味で最も有意義な時間の使い方。
最近は37℃とかいう訳分からん気温なので、食欲が湧かなくても口にしやすいように、かなりシャバシャバなダールを作って出先に持って行くなどしている。数年前から始めたカレー作りは結構板についてきた感じなんだけど、毎回完璧で美味いカレーが完成してしまうとそれはそれでつまらないので、お次のテーマを「お肉の旨味に甘えずにベジのカレーを納得いくレベルで作れるようになろう」に決定し、いろいろな種類のダールを買ってきては片っ端から試したり、多種多様な夏野菜の可能性を探ってみたり、カルディでセールになっていたからカルダモンを初めて使って爽やかさを演出してみたりと、たいそう有意義なカレージャンキーライフを送っている。たまに大失敗がやってくるけど、「うわーーー!クソまずい!www」って爆笑しながら、また次にどんどん進化させていく過程はたまらなく楽しい。
大失敗というと、つい数日前にお弁当でカレーを持参した時のこと。シャバシャバなカレーを作った日に限って、スプーン持って行くの忘れるよね、スプーン。まあ、朝はバタバタしていてよくやっちゃうんだけど。で、こういう時はしょうがなく手カレーをすることになる。左利きなのに、そこはちゃんと右手使っちゃったりして。旅の最中でもなければ手カレーをすることなんてほとんど無いからめちゃくちゃ食べにくいだろうなと最初は思うんだけれど、これが案外いけてしまう。何なら、慣れない食べ方をすることで、より食べる行為に集中できて、カレーが普段より美味しく感じられたりする。それに、スプーンという道具から解放されたことに喜びを感じたりもする。この「道具から解放される喜び」はなぜか昔から自分の中に存在していて、例えば旅の1回目はバックパックにあれやこれやと多種多様な生活用具を詰め込まないと安心できなかったけれど、「これって意外と使わんかったな」とか「これはあれで代用できるな」みたいな知見が積み重なり、旅を重ねるごとにバックパックの中身が洗練されていくことに、他では得られない方向性の喜びを感じていたりする。何だろうな、この感覚。別に無理して身辺の道具を減らしたいと思っている訳でもないのに。けれど、もしまたインドの地を踏む機会がやってきた時にバックパックの中からどうしても消し去ってみたい道具があって、それはトイレットペーパー。彼彼女らのようにケツを左手で拭えるようになった時、俺はまた一歩、物質による迷いの存在しない境地へと近づくことができる気がしているw