損をしよう
マドモアゼル・愛先生がYouTubeで配信をしていた「損をする生き方の選択」という動画を見させてもらった。
とてもハッとした。
損をするというと、少し語弊があるかもしれないけど、何も自分を犠牲にするという意味ではない。
「自分ばかり…」という見方をすればそうなってしまう。
そこには「愛を先に差し出す」という意味があるのだ。
私はそんな考えからほど遠い人生をしばらく送ってきた。
私の相談をさせてもらっている先生には
「考え方がおかしい」
「なんで“自分が謙って接しないといけないのか”、というように考えるのか」
と何度か怒られた。
その時は何がいけないのか全くわからなかった。
自分を見つめ直していくうちに、「愛」というものを意識してない、忘れている自分に気がついた。
それは、自分が傷つきたくなくて…
傷つきたくなくて、自分のよくわからないプライドや立ち位置、物やお金などを守るために、損をしないように抵抗した考えとなっていた。
そんな、損をしないような考えが当たり前になった自分を責めたりもした。
でもそんな自分も仕方がない。だって傷ついたから、辛かったから。
今のように、それさえも学びとして感謝できたらよかったのかもしれないけど、その時はわからなかった。
でもその結果、守りに入って何か手に入ったか?
全くとは言わないけど、喉から手が出るほど欲しいものは手に入っていない。
これでよくわかったよ。
抵抗して、守ろうとしても思うものが手に入らないことが。
だったら、先にどんどん損をしよう。
自分が苦しくなるほどはする必要ないけれど、先に与えていきたい。
その方が気が楽だ。
ほかの方も言っていた。
必死に守る方が疲れる。
そして、なぜか気がついたら豊かさを満喫できるようになる、と。
たしかに、余計な思考になるし、不自然で、何か抵抗しているから、良い波動を出しているとは言えない。
損をする = 与える愛、先に出す愛 の方が、豊かな波動だから、それがまた自分に還ってくる。
「なんで私ばかり…。」となったら意味がない。
それは自分が持っているものがなくなるような感覚、不安や自信のなさが含まれていることになる。
どんなことも全ては自分から。
相手も環境や状況も全て自分の鏡
自分が愛を出せば、自分に愛・豊かさがいつも入ってくる。
枯渇することない、泉のように湧きでる私のエネルギーだから。
損をすることにはならないから、喜んで損をしよう。
そういうエネルギーでいよう。