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群衆哀歌 14

Before…

【二十三】

 約束の時間より五分前、前回と同じ。貸切の看板が立っている。店の扉を開く。前回と同じ、薄明るい照明に輝く藍色の髪。
「お疲れちゃん、金銀星人。」
「どこの星よ、それ。お疲れ様、バイト明けなんでしょ?」
「そそ。もうすっかり慣れたもんだし、早上がりしたから大して疲れてねぇよ。」
 相変わらず、小気味良いやり取り。だけど、前回と違う所がある。更に正確に言うなら、今日の日中に話した時と違う。頬に、痕がある。
「頬っぺた、どしたの…?」
「クソ野郎成敗した証かな。詳しいことは二人来たら話すよ。スッキリしたわ。」
 もう一つ違うのは、もう二人来ることになってること。前来た時より、賑やかになりそうだ。喜一君に合わせて、私も煙草に火を点けた。

 一口目を吸い込んだ時、二人が来た。山本君と、春君。
「お疲れちゃん、すっかり仲良しだなお前ら。」
「おぅ、こいついい奴だよやっぱり。一軒目付き合ってくれたんだ。」
 じっくり見ると、春君は既に顔が少し赤い。山本君が呆れてる。
「こいつ、七時からしこたま飲んでもう出来上がってやんの。全くもう。」
「二人ともお疲れ様。楽しそうで何より。」
 自然に笑えた。普段の取り巻きに見せる笑顔とはちょっと違う、作らない笑顔。居心地が良い。暖かい。
「泣き虫君が飲まないで待っててくれてるのに、もう。何飲む?財布の心配は要らないよ。」
「んじゃ俺はいつものバタースコッチ。あとは?」
「俺ぇビール、山本は?」
「まだ飲むんか…。俺はウィスキーをロックで。」
「私はどーしよっかな、喜一君と同じやつにしよ。」

 山本君が喜一君の左隣、私が右隣、私の右隣に春君。煙草を吸い終え、灰皿に捨てた所で山本君も喜一君の頬っぺたに気付いた。
「喜一、どうしたそれ!?大丈夫かよ!?」
「あぁ、これな。酒来たら話すよ。」
 タイミングを見計らったように、マスターがそれぞれのお酒を持ってきてくれた。どれ、聞いてやろう。

 喜一君の成敗話は少し怖かったけど、それ以上に胸がスカッとした。私も似たような思いしてるけど、そんなことできないもん。
「喜一君、喧嘩強いんだね。噂通り。」
「るっせぇ、親父に無理矢理空手と柔道やらされてたんだよ。お陰様で腕っぷしは噂通りだけど、基本こっちからは仕掛けねぇ。一応武闘家だし、筋ってもんだよ。」
 春君が笑う。
「確かにな、お前クソ律儀だし。飯食う時手合わせていただきます言ってくれんだぜ。作り甲斐あるよ。」
「俺ん家だろ、そう言われっと少し恥ずかしいな。」
 喜一君も、山本君も笑う。私も、笑顔が消えることが無い。幸せな時間だなぁ。こんなの、久し振り過ぎるよ。
「ほんと、楽しい。」
 不意に口から零れた、心の底からの本音。この人達には、例え嫌われても疎まれてもいいから、本当の私を知って欲しい。一瞬だけそう思った。微かな流星のように。三回祈る暇も無い程のか細い流星。でも、それを見逃さずに掴み取ったひとがいた。
「哀勝、何か考えたろ?」
 青い髪を靡かせて、格好つけずに喜一君が言う。でも、まだこの暖かさに溺れていたい。
「まぁね、鋭いね。もう少し酔っ払ったら話そっかな。マスター、XYZひとつ。しばらくさ、こんなしょーもない笑える話をしてたいな。喜一君が青くなった後の話、聞かせてよ。」
 酔っ払っていくのが自分でも分かる。本当に幸せ。ここまで酔ったのは、部屋着にコートで彷徨ったあの日以来かもなぁ。でも、あの日より今日は暖かい。

【二十四】

 酔っ払ってないのは二人、俺と山本。喜一の直感は、クソったれをぶっ飛ばしてから異常に研ぎ澄まされていた。春はどう見ても酔っ払ってるけど、山本は酒が強い。淡々とウィスキーを飲んでは、話を上手く繋げてくれる。そして、俺が遮断していた時間を遡る。
「夏明けだったな、お前が変わっちまってから心配したんだぜ本当。何言っても別にってしか言わねぇし。そん時に最初にキレたのが加藤だ、よく覚えてる。飯行った時にな、アイツ何だよ感じ悪いってな。そん時にフカシ流し始めたんだ。」
「まぁそんぐらいのことされても仕方ねぇ、悪かったよマジ。」
「そんなことねぇって言ったんだけどな、周りの奴らもすっかり加藤の口車乗っちまって、そっから噂広まるのは早かった。喜一に何言っても聞いてくれねぇし、諦めちまった。」
 そこで春が口を挟んだ。
「そんでウチのサークルに話が伝わり出した時に気になったんだ。青髪のアイツだってんで一発で分かったよ。人のツラ覚えるのは得意だから、身形変わってもすぐ元々どんな奴だったかは多少知ってた。俺、顔広いから。」
 確かに、春は顔が広い。編入して最初のあのガイダンスの時も、迎える奴は多かった。
「知らねぇ間にそんな有名人なってたのか、嫌な形で。」

 ラムコークを煽りながら、横目で哀勝を見る。頬は赤いが、にこにこと俺を見ていた。同じ感覚を、哀勝は知っている。抜け方こそ違うが、味わった嫌気は一緒だろう。
「私が編入してきたのも丁度それくらいだったな。私の周りはちやほや族ばっかで、変な話は全然回ってこなかったから知らなかったよ。初めて会った時は喋ってたら講義室着くの遅くなって、あそこしか空いてなかったんだよね、確か。」
 山本が続く。
「そうそう、あん時は喜一の後ろかって緊張したもんだぜ。やめとけって周りがでかい声で言うわ、お前にいきなり捕まるわでド緊張もんだったぞ。」
「ほんと悪かったって、缶珈琲で許してくれよ。」
「気にしちゃいねぇけどさ、寧ろ相変わらず律儀なもんだって感心したよ。」
 山本の顔に嘘は一切無い。山本と仲良くなったのは、武道で磨かれ過ぎて不器用になっている俺と、優しくて素直で嘘を吐かない所が似てるって思ったからだっけ。
 哀勝は変わらず微笑んでいるが、若干綻びが見え出した。一度俺に見せた、あの弱い部分が徐々に見え出している。さっき拾った時より、徐々に鮮明になっている。彼女の氷河が、隠し切れなくなっている。

 哀勝のXYZが空になった時、喜一は一瞬躊躇ったが、その氷河に素足で踏み込む決意をした。残ったラムコークを一気に飲み干し、歩を進めた。
「哀勝。」
「なぁに、喜一君。真面目な顔しちゃって。」
「酔っ払ってるの相手に卑怯だってのは分かってる。その上で聞く。哀勝を楽にしてやりてぇ。話したくないなら断ってくれて構わない。哀勝の話、聞かせてくれねぇか?」

 微笑みが徐々に薄くなっていく。やっぱりそうなるよな。心の底から申し訳なさが込み上げる。詫びを入れようと口を開いた時、先に哀勝の口が開いた。意外な一言を乗せて。

「いいよ、もう君達には隠したくないし、私も聞いて欲しいなってさっき喜一君に言われた時から思ってたんだ。」
 店内の空気が少し重くなる。哀勝が煙草を点けた時、見計らったようにマスターがバタースコッチを四杯出してくれた。
「頼まれてないけど、きっとこれから悲しい話が始まるんでしょ。せめてさ、甘いお酒飲みながらにしなよ。これは喜一君からちょいちょい貰ってる前払いからのサービスってことで、俺から。」

 マスターの優しさに甘えて四人は黙って一口飲んだ。哀勝の後を追うように、俺と春はそれぞれ煙草を灯した。四人の口内が甘味に満ち、受け入れる態勢は整った。紫煙が濃くなった店内の時は、哀勝の過去へと一度遡る。

Next…


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