高度1億メートル 04
Before…
【六】
「何泣いてるの。自分から告白しといて、結果も聞かずに泣くんじゃないよ。」
撫でられた頭皮から脳へ、セイラの温かさが伝わってくる。貰ったぬくもりが、氷河を溶かして目から零れさせる。涙が空っぽになるまで、セイラはずっと俺の頭を撫でていた。
「なんかごめん、もう二度と会えないような気がして。」
言葉を話せるようになるまで、かなり時間がかかった。ようやっと真意を伝えられた。くすっと、セイラは笑う。
「会おうと思った時に会えるよ。心配しないでよい。」
そして、ひと呼吸。
「付き合わない、こともないよ。これ以上言えることは、わたしには無いよ。」
「そっか、何て言えばいいのかな。ありがとう?ごめん?」
「どっちでもいいよ。両方受け止めるから。私の世界は広いからね。気が変わらなければさ、また来てよ。ヒイラギ、お話聞いてくれるししてくれるし退屈しないんだ。」
「それには、ありがとうって返すよ。」
伝えたいことを伝え、そしてその返事を貰った。その返事はとても曖昧で、空を泳ぐ雲のようだったけれど。
「そろそろ明るくなるよ。またね。」
頭をぽん、と叩かれて意識が落下した。
目を開くと、以前と同じように自室で横になっていた。これもまた夢だったのだろうか、と冷蔵庫を開いた。二つ買ったプリンは部屋のどこにも無かった。何故だか無性に嬉しくなった。
翌日、いつものようにバイトへ行き、寮に帰ってきたのは九時を回った頃だった。手早く風呂を済ませて夕飯を買いにコンビニへ行き、煙草と、シュークリームを二つ、そしておにぎりを二種二個ずつ買った。ベンチに腰掛け一個目のおにぎりの封を開いた時、聞きなれた原付のエンジン音が近づいてきた。音の正体はよく知っている。
「ユースケ、お疲れ。」
「お、ヒイラギじゃんか。お疲れちゃん。バイト上がりかい?」
「そうだよ、残業させられたぜ全く。給料変わんねぇのにさぁ。」
ユースケは赤い幾何学模様のパッケージから煙草を取り出して吸い始めた。彼に倣って俺も煙草に火を点けた。
「相変わらず行儀悪いってか、よくメシ食いながら煙草吸えんな。」
「食後の一服、って美味いじゃん。ひと口ごとに味わえていいもんだぜ。」
ユースケが、煙を空にふーっと吹きながら話を続ける。
「俺は受かったからいいんだけどさ、お前結局何やんの、卒業してから。」
長めに煙草を吸い込み、ゆっくりと煙を吐いた。何をするか、或いは何をしたいか、未だに見えてこない。率直な言葉しか出せない。
「夢、見てたいかなぁ。」
「もう二十二だろ、夢見んのに早いも遅いもないけどさ。安定した地盤があるから夢に近づけるんだと俺は思うけど。」
ユースケは先に煙草を吸い終えて灰皿に捨てた。そして俺のコンビニ袋を見て不思議そうな表情を見せた。
「…何でお前、全部二個ずつ買ってんの?そんなに食うんか?」
「まぁせっかくなら誰かと食いたくてさ。食う相手は決まってる。」
にかっとユースケが笑った。
「お前、女いたっけ?」
「いねぇよ、この世には。この性格じゃそうそうできねぇよ。」
「んじゃあの世にはいる、ってことかい?」
「あの世がどんなとこか、俺は知らねぇよ。まぁ多分俺も疲れてんだな、こんなこと言い出すなんて。」
じゃお先、とユースケへ挨拶して寮に戻り、点呼を済ませて部屋に戻る。何故かいつになく疲労感が強い。袋を持ったままベッドに寝転がり、そのまま重い瞼に耐えられず意識を失った。
「ぉぃ、おい、ヒイラギ。寝てる先でも寝てるんじゃないよ。」
おでこをぺしぺしと叩かれて、慌ててがばっと起きた。一面に広がる銀河の最中。目の前に、愛しい人。
「おはよう…セイラ。俺寮に帰ってきてから確か寝落ちしたんだけど、なんでここにいられるの?」
彼女はふぅ、と蕩ける目で笑いかけた。
「それだけ、ここに来たかったからでしょ。ここは元々夢なんだから。わたしは嬉しいけどね。」
コンビニ袋から、おにぎりとシュークリームを取り出した。
「飯、一緒に食わねぇか?」
「いーよ。あ、これご飯代ね。そーれっと。」
マウスをダブルクリックすると、以前イロドリに渡した時のようにCD取り出し口と思われるところから千円札が出てきた。
「別にいいよ、俺が好きで買ってきてるんだから。」
「やだ、戻すのめんどいし受け取ってよ。それか次来る時に、これで甘いものでも買ってきてよ。」
次に来る時、という言葉もまた妙に温まる言葉。
「分かった、リクエストあるかい?」
「こないだのプリン。ホイップ多めのやつね。」
「はいよ、任せとけ。」
「姉ちゃん、にこないだのお兄さんじゃん。」
どこからともなく、イロドリが現れた。彼も買い出しをしてきたようで、袋を持っている。
「おかえり可愛い弟よ。頼まれてもないのに来るなんて珍しい。」
「僕だってたまには顔ぐらい出すよ。げ、シュークリーム、かぶった。」
袋から、ひと口サイズのシュークリームが沢山入った箱を取り出す。
「いーよイロドリ。甘いものはいくらあっても困らぬ。」
起き上がって袖をぴょいぴょいさせる。催眠術に使う、五円玉のように。
「お兄さんも食べなよ。こんだけあるし、また会えたら話したいなって思ってたとこだから。」
「んじゃ、お言葉に甘えて。」
パソコンの裏に珈琲マシンが何の前触れもなく出現し、人数分のコーヒーを淹れてくれた。一体どうなってるんだこの世界は。
デザート・タイムは色々な話で盛り上がった。真っ先に「ヒイラギ、私のこと好きなんだって」から始まった時には間違いなく赤面していただろう。イロドリと一瞬目が合った時、妙な目つきで見られていたので無意識に逸らしてしまったが。
イロドリは取っ払いの日雇いで日銭を稼ぎながら一人暮らしをしているらしい。セイラの買い物を手伝うことでお小遣いを貯めているようだ。どれくらい話しただろうか、イロドリが帰り支度を始めた。
「イロドリ、いつもありがとーね。助かってるよ。」
「いいんだよ、たった一人の姉ちゃんだし。何かあったらいつでも連絡していーからね。あとヒイラギ兄さん、姉ちゃんのこと…。」
ん?と返す間もなく手を掴まれて落下していった。セイラが見えなくなるまで、宙の海を沈み続けた。
「ヒイラギ兄さん、ちょっと話聞いてもらっていいっすか?」
Next…
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