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教室という名の〈匣〉

 〈匣〉というモチーフを蓼原はよく用いる。匣が好きだし、匣に囚われ続けている。私が主にこの〈匣〉というものをどんなものとして指しているかというと、学校や職場、あるいは何らかのコミュニティー、街なんかもそれに当たるだろう。いわゆるファースト~サードプレイス等と言われるものだ。ひとつの境界線を持ち、それの内側と外側とをある程度明確な輪郭を持って隔てている組織・機関をどうやらそう呼んでいるらしかった。(※ひとつ注釈だが、〈箱〉と〈匣〉の違いについては、前者が一般的なもの、後者がぴったり閉まる蓋のついた小さなハコなのだそうだ。だから匣というとき、ちいさな宝石箱のようなものをイメージしてほしい。)
 私は明日には25歳になる。巷ではアラサーなんて呼ばれるのに、こうやってキーボードを弾く以外のことが今できぬ私、社会と隣接していない私をどうすれば大人だと呼ぶことができるだろうか。だから今日は少しだけ学生時代を振り返って、そうして現在を見つめなおしたいと思う。

 題にもあるように「教室」はひとつの匣だった。そして私はその匣が好きだった。物を書いている人の中で学校が好きなタイプはなかなか珍しいのではないかと思う。友人もそこそこいたし、学級委員も部活動もずっと継続してきて、何より先生に気に入られていた。おそらく、だから居心地がよかった。真面目に勉強する学生が馬鹿を見ないように、一部の真面目な教員がずっと目をかけてくれたのだと思う。いじめられこそ殆どしなかったが、馬鹿真面目でいると級友から暴言くらいは吐かれる。でも先生の後ろ盾のある私は無敵。気に入らないよね、わかるわかる、と高みの見物である。だから所謂盛り上げ役でない、地味で、真面目で、でも意見を言う、いつでもクラスを円滑に回すことしか考えていない私でも教室が好きだった。
 でも大人になるとわかる。教室という匣には、先生という監督者がいて、そこに責任がある。ある程度のことまでは子どものしたことだからと許される。許しがある。尻拭いはあくまでも擬きまで、奉仕活動といってさせられた掃除なんて誰のための何なのか結局わからない。うまく立ち行かぬ部分をどうにかしてきてくれたのは大人たちだった。やはり恵まれていたのだ、あの環境は。

 ある程度大人になった——大学に進学してからも〈匣〉という認識はあまり変わらなかった。一般的な文学部など大人数いる学部に進めば話は変わっていたかもしれないが、私のいた専攻は、文藝の専門学校のようなカリキュラムだったし、人数も高校の一クラスほどで男女比も半々ほどと殆ど変わりがなかった。変わったのは皆の性格がややおとなしめで、何かしら文章を読むことが好きな人間ばかりであったことくらいだろうか。双方向型、一方的に聴く講義型、どちらの講義もあったが、教授たちは本当に優しかった。原稿の書けなくなった、甘えた、どうしようもない学生も多かったが見放さなかった。専攻に専属の教授陣は4人と限られていたため、私は半ば親のように慕っていた部分もあった。ゼミの教授とは昨年お茶をして、蓼原なら大丈夫だろ、制作を優先したいならそうすればいいと元気づけてもらったり、ほかにも今度ランチに行こうと約束している、歳の離れた女友達のような先生もいる。匣にはいつも理解者がいた。

 そんな私が匣をポジティブな認識でなくても使うようになったのは、社会人になってからだった。厳密に言うと、社会にうまく適合できなくなってから、というのが正しいかもしれない。大学時代はメンタルを壊しても原稿さえ書けていればよかった、それが社会に出れば通じなくなる。定期的に休んだりもした。それで上司も困らせた。それでも成果を数字を上げて、表彰されながら前に進んだ。しかし、会社員というだけでは私は満たされなかった。仕事をしながらでも制作を続けなければ、蓼原 憂という人間を保つことはできなかった。足りない時間、休みの時間にも浸食されていく仕事脳に、日に日に壊れていく身体。それでも会社という組織、それがある街すらひとつの匣であるとしか思えなかったし、その匣は大事で捨てられなかった。以下の詩は「文京区」(改題後:「匣庭」)という詩である。

詩「匣庭」(作:蓼原 憂)

 結果的に私は会社を休み、ドロップアウトする形で、ひとつの匣を手放した。もう少し大切にしたかったな、と今なら思えるが、当時は到底難しかっただろう。

 もうひとつサードプレイスについての話もしておきたい。この言葉をはじめに聞いたのは大学の講義のときで、職場(あるいは学校)、家庭、それ以外の居場所という意味でサードなのだが、それに相応しいと思ったのが此処一年ほどで得たシーシャ関連のコミュニティーであった。一人、中心となる人物が居て、その周りに近しい意思を持つ者が集まってくる。もともとは他人同士だったはずなのに、店の中でだんだんと距離が縮まりそれは知人を越えて、友人となった。様々な境遇を持つその人たちと話せる時間が私は愛おしかった。扉を開けばそこにある、たしかに匣の形をしていた。
 ただし、サードプレイスは人を拘束してくれないし、主導となる人間も持たない。自ら足を踏み入れることで成立するので、職場や学校ほどある種甘くないのだ。それが大人になってからの付き合いということなのだろう。私は残念ながらこの匣も喪ってしまったのだが、この字を用いた通り、匣を失くすときには、心の中での埋葬が必要になってくる。そういえば棺桶も箱なのに、それよりも大きいものはどう仕舞えばいいのだろう。失くして日の浅い、私には未だわからない。

 匣、匣、匣。マトリョーシカのようにずっと小さい小箱の中に気持ちを閉じ込めているけど、たまにはこうやって奥から記憶を掘り起こしてこようと思います。

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