休日の義務感と、間を埋めない勇気
義務感とは言わないまでも「やりたいわけではないけど暇だしやるか〜」という感じで何かを始めることはよくある。
そういう時って「やりたいから」ではなくて、「時間が余っているから」が動機になっている。やりたいかやりたくないかで言うと、やりたくない。
時間もお金も、使いたいわけじゃないんだけどあると目についたものに突っ込んでしまいがち。
だけど、「やりたくないけど時間を潰せそうだからやる」くらいなら、「やらない」ほうがいい。
経験上、やりたくなかったことをやってみて結果的に楽しくなったケースは少ない。ゼロとは言わないけど。
代わりに、無理せず「やりたいことないな〜」という素直な気持ちで「何もしない」をすると、心の力みがとれて、結果的に「本当にやりたいことっぽいこと」が降りてくる。
今私はインターネットの使用を制限している。
インターネットって間を埋める道具としては地球上最強だ。
それを取り上げられた今、私はその間を本で埋めようとしている。
ネットより依存性は低くなったけど、「間を埋めていないと不安」という症状は改善されてないってことだ。
そういう動機で読み始めた本って、あんまり集中できないというか、自分の中にスムースに入っていかない。引っかかるし、体が拒絶している感覚がする。
そういう感覚を大事にしてあげること。
会話とかもそんな面がある気がする。
特に聞きたいわけじゃないけど沈黙が怖いから、と出した話題って、あんま続かないし、楽しい会話に発展しにくい。
けど思い切って沈黙を作って、自然と湧いてきた「本当にその人に聞いてみたいかもしれないこと」って、結構盛り上がる、ことがある。
間をせっせと埋める躁病的な生き方を傍に置いて、自分に対して「やりたくない」を素直に言える休日を過ごしたい。
体の声を聞いて、その感覚に従うこと。