執着は欲望から生まれる,だから広い視野を心がける 自分の読書を例に

自分の欲望が執着を生み出す.
欲望とは「〜が欲しい」と思う気持ちだ.
自分は幸福を求めている.人生において.
そして幸福を求める欲望は,「楽しさ」への欲望を高める.
つまり「楽しくなりたい…」と呟き続ける心を生む.
楽しさは確かに正しく用法を守れば,良いものだ.厳密に言うと,結果としてもららされるのであれば.
しかし楽しさを求める心持ちは,良くない.
欲望は執着を生む.
これが欲しい,と思うからそれを与えてくれそうな対象にしがみつく.
蜜を吸い尽くそうとする.
目の前のこいつからどれだけ楽しさ,幸福をぶんどれるかばかり考える.
もちろん意識的では無い.無意識の作用である.

心が開いている時は,自分でそれがわかる.
そして何でも上手くいきそうな,何にでも興味・好奇心が湧いてくる気持ちになる.
反対に心が閉じて固くなって重くなった時は,自分が固くなっていることにすら気づかない.
だけど楽しさや幸福を感じていないことはわかる.
だからより強く望む.
欲望が大きくなる.
「欲しい!」の声が大きくなる.
すると執着する.
余裕がないから.
他に楽しさをくれるものがないかもしれないから,こいつからできるだけ多く楽しさをぶんどらないと!と焦る.
悪循環である.

自分は読書においてこれに陥りがちだ.
健全な心を持っている時にはバカバカしくなるような話だが,心が固くなっている時にはそれこそ生き死にが懸かっている大問題であるかのように錯覚させられるからタチが悪い.
自分は不幸なことに,「死ぬほど面白い」と思える本に出会った経験がある.
それは幸福ではないかと思う人もあるかもしれない.
しかし,なまじ強烈な成功体験があると,欲望が顔を出すのだ.
「本は楽しさを提供してくれる,これからもきっとそうだ」と.
前述の通り,欲望は執着を生み,執着は固く不感症的な心を生む.
何かを楽しいと感じるための必須条件は心が柔らかくなって開いていることなのに,その一番大事なものが失われる.
「早く楽しませてくれ」と思う.
愚かなことに,最終的には「1文字で面白く感じさせてみろ」という心になる.
過剰な欲望だ.
だから1行も読み通せない.
楽しさという報酬が欲望通りに供給されないのだから.

こういう時は,視野を広く持つに限る.
これもある,あれもある,ということが分かっている時にこそ,目の前のそれに開いた心で臨むことができる.
視野外には必ず自分の知らないものがある.
だから,別に目の前のこれのことなんて大したものだと思っていないよ,という時には変な力みが取れていて案外楽しめる.
心が近視になっていてはいけない.
少しバカにしているくらいがちょうど良い.
目に力が入っていない方がいい.
これはものすごく雑な推論だが,現代は視覚的=物理的に近視眼的になりがちだからこそ心も近視眼的になりがちなのではないだろうか.
スマホという小さい画面を近くで見ているからこそ,目と心に力が入っているのが常態化し,あらゆることに執着しがちになるのではないだろうか.

なんにせよ,遠くまで見通せているから目の前のものから多くを学べるのであるし,視野の外には多くのものが転がっていると分かっているからこそ目の前のものをある種小バカにして力みなく臨めるのではないだろうか.


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