概念って、存在しているの?
こんにちは、めれんげです。今回から、自分の考えたこと、思ったことを、noteに残してみようと思います
以下に記述するのは、全てめれんげの主観です。ひとりごとです。真に受けると痛い目みます
今日は、「概念は存在すると言えるのか否か」です。「概念」というと、なんだか掴みどころの無い印象がありますね。私の場合は、宗教における神様や、幽霊なんかがまず思い浮かびますが、はっきりと説明しろと言われると、むむむと唸ってしまう。
概念を定義するのは難しそうですから、先に「存在する」とはどういう状態かを考えてみます。
「手を伸ばせば触れて、筋力が足りれば動かせる。重さがあって、目に見える。」
そんなモノなら、「これは存在してない」と断じる人は少ないと思われます。
では、風や波はどうでしょう?
これらに触れると、空気や水が動くことを感じます。しかし、独立した物体として、“波”や“風“がそこにあるわけではないわけです。彼らは、空気や水を構成する分子が、ある方向から別の方向に流れる、「集団の動き」と思われます。「動き」は存在に含まれるのでしょうか?
さらに、存在から遠ざかってみましょう。pcの中にある、データはどうでしょうか。現代社会において、データは人を動かし、機械や資源を動かします。明瞭に「存在する」と言いきれる“モノ“が、データの影響を受け変質し、動作を変えていきます。
データの本体は何でしょう?
pcのハードディスクは、磁力を使ったマーキングによって、情報を書き記し保存します。それをpcが読解し、電流を使った“パソコン語”に翻訳して、更に翻訳を重ね、画面に“人間語”が映し出されます。
“モノ”が触れるのは、ハードディスク上の磁力マーキングです。しかし、これを読み解くには、「マーキングが何を示すのか」を、pcが理解出来なきゃなりません。pcが理解出来ない磁力の羅列は、もはや“データ”としての役割を果たすことができません。すなわち、データは、“磁力のマーキング”と“マーキングの読み方”が揃った時にだけ、能力を発揮します
データの片割れ、“マーキングの読み方”は、どこから来ているでしょう?
「このマーキングはこんな意味を持つ」というのは、人間が勝手に決めて、pcに“プログラム”として教えこんだものです。“モノ”としての実体を持たず、人間が脳の中で考案し定めた、ルールであり規格です。
人間は世代を重ね、先人の考えた規格や、発見された“モノ”世界のルール(らしきもの)を引き継ぎ、発展してきました。
私は、この“引き継いだもの”を知識と呼びます。
さて…知識は、「存在」と呼べるのでしょうか?
触ることも重さを量ることも、筋力で動かすことも、目で見ることもできません。しかし、過去の人々と我々の生活の違いを見れば、なにか“引き継いだもの”が“ある”ことは明らかです。過去の知識を下敷きに、新しい技術が誕生し、モノの世界が変わっていきます。
我々が知識に接触するには、言葉や文字、数時といった規格が必要です。人間が勝手に決めた、勝手なルールである「規格」は、“モノ”として存在するわけではありません。知識の定義には、“モノ”が直接関わらない。
ここに、「触れない、重さもない、目にも直接見えず、筋力で動かすことも出来ないが、存在している」ものが現れました。
お待たせしました。ここで、神だとか幽霊だとかの、概念らしい概念を考えます。
それらは過去の人々から受け継がれた、“イメージ”だと私は考えます。イメージはいつ産まれたのでしょう? 私は、「人が何かを考えた時に産まれた」と考えます。
論理的思考、妄想、予想、思いつき。これらの種類は問われません。概念の親にあたる人間が、頭の中で考え、言葉や文字といった人間製規格を使い表現したもの。これが、「概念」として、別の人に受け継がれたり、受け継がれなかったりする。
そして概念は、現実世界に干渉します。
例えば、ある人の頭の中で、キャラクターが空想されたとして。その概念が人間製規格を通じて発信されたとします。小説ならば文字、イラストならば画像を媒介して、“キャラクター”という概念は、他者に伝わります。だんだん人気が増していって、キャラクターの概念を多くの人が共有し、ついにはキャラクターを模した人形が作られました。概念が、明瞭な存在である“モノ”として具現化した瞬間です。
以上をふまえ、私は「概念は存在する」と結論づけます。といっても、物質として存在するわけではないのです。神の概念があるからといって、神が肉体を持ち空の上にいる訳では無いです。
データが、文字や数字、読み取り方といった、「規格」を媒介して存在するように。概念は、人間のイメージ、記憶、理解を媒介して存在します。
月並みではありますが、我々と違う次元にある、という表現がふさわしいと思います。
概念は時に、人に絶大な影響力を持つと、私は思います。だから、感じたこと、考えたことを、どう扱うか。概念とどう付き合うか、よく考えようと思います
記録するって、大変ですね。言語化はすごくエネルギーを使うと、よくわかりました。
でも、楽しかったです