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そのやさしさはどこから

最近出会ったその方は、うまく言葉が話せない。
脳梗塞の後遺症で言葉を操ることが難しいのだ。音を探しながら、言葉を探しながら、迷い、潜って、彷徨って、その方は言葉の海を泳ぐ。暗く、深い海の中を。



コミュニケーションのリハビリ職、というニッチもいいところな仕事に就いてから、同じような症状の患者さんを何人も担当してきた。こちらからは察せないほど軽微な、けれどご本人としては「話す一呼吸分の間が空く」と受傷後の違和感を表す方もいらっしゃれば、ご自分の名前どころか誰かを「ねえ、」と声で呼び止めることすら叶わなくなった方まで症状は様々だ。


最近担当になったその方は、話すのも聞き取るのも難しい。とはいえ「助けて」が言えずに救急車が呼べず、電車を乗り継いで職場まで助けを求めに行ったという最初の頃に比べれば徐々に良くなっているのだと思う。

( こんなことを書くとよく驚かれるけれど、病巣によっては身体機能に何の問題もなく、ただ言葉の出づらさを初めとする脳の中の見えない後遺症にのみ苦しめられる方も多くいらっしゃるのです )



流暢に話せなくても、深いところまで知る由は無くとも、その方がどれだけ良い人なのは充分に感じることができた。いつもリハビリのお誘いに伺うと、ニコニコしながら深々と頭を下げてくださる。何度も言葉を探しながら、迷いながらも、言いたいことを最後まで諦めずに伝えてくださる。つられてわたしも深々と、いつもより深めに頭を下げてしまう。周りをも引き込むような、そんな人の良さがその方にはある。


そんなある日、ある程度の検査を取り終えて今後の見通しがたったときのことだった。
どうか伝われと思いながら、今の病状についてと、これからのリハビリについて説明した。そしてそれよりも力を込めて、続きの言葉を選ぶ。

「リハビリ、なんか嫌だな〜って日があってもいいです」

「そういうときは、一緒に休憩しましょう。そして、また、一緒に頑張りましょう」

「それよりも、最後まで、一緒に続けられることが大事です」

きれいな目が、まるく大きくなるのがわかった。

『や…やん…やす…んで、も、いいの、だ、で、です、か?』

「はい、もちろん。」

『え、え〜!そんなの、いわれたこと、なかった!』

そこからその方は、何度も何度も間違いながら、それでもゆっくりと確実に話をしてくれた。


受傷してすぐに運ばれた病院では、今よりも言葉が出なかったこと。難聴と勘違いされ、医師から耳元で何度も大声を出されるのが嫌だったこと。それよりも、「耳が聞こえない訳ではない」と伝えられないことが辛かったこと。少しずつ話せるようになってから、スタッフの態度が変わったこと。だから、うまく話せない自分は相手を苛立たせているのではないかと心配になること。転院して当院に来てからスタッフが優しいから驚いたこと。けれどそれは優しさゆえであって、本当は自分と話すのが苦痛なのではないかと思っていたこと。だからこそ休みなく、リハビリを頑張るしかないと思っていたこと。

「そんなこと、まっっっっっったく、無い!です!」


思わず、身を乗り出してしまった。
お願い、伝わって!と思いながら、でも早口にならぬよう焦る気持ちを抑えながら、言葉を選んだ。

「迷惑だって思ったこと、一度もないです。
わたしは○○さんと、もっとお話したいです!
こうやって、お話できる時間が、1番嬉しい!

だから、沢山お話しましょう。一緒に。」


はい、と何度も首を縦に振りながら笑ってくださったその方が涙目だったことを、今でも覚えている。

その日以降、わたしのことを見つけると、ぱあ!と笑顔が華やいでテコテコ向かってきてくださることが嬉しい。いつもリハビリが終わる時間になると、2人で深々お辞儀をしてあいさつをし合うことも。いつもたどたどしく、でもきちんと「ありがとうございました」を仰ってくださるたび、こちらこそ、という気持ちでいっぱいになる。


『明日、は、朝、雨。気をつけて、来てください』『今日、は、ゆうやみ…ちがう、夕方、に、雨みたい。はやーく、かえり、かえった、ほうが、いい、ですよ!』

天気予報を見てはわたしにそう言って教えてくださる方が、この方に限らず患者さんの中に沢山いる。
わたしを含め多くのスタッフが自転車で通勤していることを知っている彼ら彼女らは、いつもわたしたちのことを心配してくださるのだ。


「あおちゃん!まーだいたの!早く帰んなさいな〜!」と、残業して病棟にいるわたしを見たら心配しに来てくださる患者さんもいる。「これ食べな」と、こっそりお菓子をくださる患者さんも。そんな患者さんがたのやさしさに、わたしはいつもこっそり泣きそうになる。
ある日突然病に倒れ、休みなくリハビリ漬けの毎日を送る日々は想像を絶するほど辛いものだろう。先の見えない暗闇の中でぽつぽつと歩いているような日々だろうに、それなのに。どうしてそんなに誰かに優しくできるの。そのやさしさは、どこからくるの。



そんなことを思ってしまうけれど、彼らの「話したい」「家に帰りたい」に応えるために、一緒に歩いていくしかない。
泣いたとて日々は続く。たまには休憩しつつ、でも一緒に毎日を重ねるしかないですね。頑張りましょうか明日も。一緒に。








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