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これはどこにでもある、隣の愛の話

尾形真理子の「隣人の愛を知れ」を読んだ。

なんて物語だ。結婚というものが甘やかな日々だけではないということ、大変なことがごまんとあるのだということは流石にもう覚悟しているつもりだった。それでも結婚したいと思う人が現れた矢先に背中から冷水を垂らされたような心地がした。

もともと、尾形真理子の大ファンである。
LUMINEのコピーは新しいものが出るたびに思わず写真を撮ってしまうし、一時期スマホのロック画面にしていたほどだ。
前作「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う」も幾度となく読み返してはその度に彼女たちのようにしなやかに生きていきたいと思っていた。だからこそ書店で新刊を見つけたときに人生で初めて、新刊を見つけて息が止まるという稀有な経験をした。


それが今作「隣人の愛を知れ」である。
あらすじから察するに、不倫する女性と不倫される女性それぞれが出てくることは分かっていた。前作にもずっと煮え切らない男性を待ち続けながら歳を重ねる女性が出てきていたし、そういう感じかとそう気に留めずに読み始めた。

前作の刊行から7年。
17歳だったわたしは、24歳になった。

17歳といえば、不倫?浮気?そんなのやだ〜〜いつか好きな人と一緒になりたい!大学生になったら!きっとサークルの先輩とかバイト先の先輩とかと素敵な恋をして!それで!なんて夢見ていた頃だ。
そこから7年である。体を重ねるだけの関係の男の人と手を繋ぎながらその人の彼女の話をしていたことも、死ぬほど好きだった恋人を寝取られ振られた夜もあった。不倫する側もされる側も経験し、同級生から結婚式の招待状が届く年になった。何もかも、「まだ考えが甘い」というのは重々承知なうえで、それでもほんのごくごく僅かだが、あの頃より何かを分かっている。つもりだった、のに。

不倫が罪なのは、ふたりでは完結しないからだ。
どんなに狡猾な言い訳を並べても、過失の浮気など
存在しない。愛する人から「傷つけてもいい」と
心の片隅で思われていたという事実は、
裏切り以上に深い傷となる。
籍を抜いてしまけば、偽りの結婚であったことになる。バツイチなどと簡単な言葉で済まされてしまったら、
わたしの苦しみは誰にも同意してもらえない。
籍だけが、自分の存在を守ってくれる。
それこそが25年間、美智子が離婚を選択できなかった
理由だった。


まだまだ甘いよ、と諭されたようだった。
何度も苦しくなった。読むのをやめようもうこれ以上は駄目だと何度も思ったはずなのに、気付いたら一気読みしていた。
こんなの想像してた未来じゃない。みんな苦しそうだった。ただ、誰かを愛していたいというだけなのに。みんなしあわせになりたいだけなのに。

わたしだったらどうするだろう、とページを捲りながら何度か手が止まった。
ひかりだったら。知歌だったら。ヨウだったら。青子だったら。
物語の続きを読むよりはやく、結末の先にいるであろう知人の顔が幾つも浮かんだ。不倫して慰謝料を請求されたあの子。不倫されてシングルマザーになったあの子。やめなきゃ分かってると言いつつもズルズルと不埒な関係を持ち続けているあの子。形こそ違えど、生き写しみたく現実があった。

それでも、変わらないだろうな、とおもう。
不倫の先にハッピーエンドは待っていない。たとえ幸福な生活を手に入れたとしても、「誰か」と対だったその人を引き剥がした事実はこびりついて消えない。
それなのにどうして人は誰かを愛するのだろう。裏切られてもいいと思ってしまうのだろう。それは、わたしも含めての話だけど。

仕事がきつい。子育てがしんどい。
旦那がひどい。介護がつらい。
つらい状況にいる自分が
「一瞬でもどうにか報われたい」と思うから、
苦しい胸の内を誰かに聞いてほしいと人は思うのだ。

尾形真理子の紡ぐものの根底にいつもあるのはすべて愛だ。
わたしも目指すだけならできるだろうか。遠ざかることはないだろうか。そんなふうに願う。

ああ苦しいしんどい、と息継きながらも最後は安堵で息を吐いてしまう、そんな贅沢な読書体験だった。


***ここから先はネタバレを含みます***


なんてことないことだけど、ヨウの種明かしがされたとき、アー!!!!!と思わず自室でひとり叫んでしまった。どきどきした。それくらい巧みだった。その愛には、抗えない。


乳がん。ネイル。スタイリスト。
どれも男性にだって使うワードなのに、それでも女性だと微塵も疑わずに読み進めていた。完璧なミスリードだった。乳がんになった友人のお兄ちゃんも、わたしが大ファンでネイルがきれいな男性アーティストも、時代の最先端をいく男性スタイリストもいるというのに。

付き添いではなく、面会者。
どんなに長く一緒に暮らしていても、法的に離婚をしていない淳哉とは、内縁という関係にも当たらない。
確かにこんな状況は「まいった」という言葉以外に
見当たらないなと、ヨウも思った。

不倫関係に関して良し悪しを唱えられるほどの人生は重ねていないけれど、生まれ持った性別が同じであるというだけで紙を挟めない世の中は変わるといいなと強くおもう。それは「ふたり」の話であって、社会の話ではないと思うから。たしかに淳哉は不倫していたけれど、このふたりの関係がもっともストレートな愛に感じた。


読み終えてから、結婚まで考えている恋人に連絡をした。「結婚したくなくなるような本を読みました」と。「それは困りましたね…」と困った絵文字に続いて「週末会ったときに、詳しく聞かせてください」と綴ってくれるこの人を今は思いきり好きでいよう。それがわたしにとって、いちばんの幸福だろうから。










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