【まくら✖ざぶとん】⓵⓺⓪『東京五輪二〇二〇』
そんなこんなで節目のゼロ目の回は相も変わらず時事と書いてトキゴト、あったかくなって桜が咲いても巷はおろか世界中が新型コロナウイルスの大流行による大騒動、地球規模に拡がった疫病たるや人類全体の脅威とな。
ヨーロッパで振るった猛威を見ればやっぱりコロナウイルスは人をコロスウイルス、被害が深刻なイタリアとスペインを筆頭にフランスやドイツの西欧各国は全国規模で外出禁止に営業停止、英国ロンドンに米国ニューヨークの大都市もロックダウンのゴーストタウンで人っ子ひとり見当たらず、感染の蔓延を封じ込めできなきゃ人間を屋内に封じ込むしか打つ手なし。
東京五輪はゴロが良くてもバツの悪いパンデミック・オリンピック、強行開催に踏み切ってオーバーシュートを起こしたらまさに裏目に出ちゃう最悪の「お・も・て・な・し」、世界の人々をもてなすどころか感染が続けば観戦して選手をもてはやすこともできず、ウイルスの「お・も・ち・こ・み」もイヤならおみやげにもってかえらすのもダメ、イヤよダメよも隙のうち、とはいかず迫られたのは中止か延期の二者択一。
開催決定後に拍手喝采した喜びも束の間、思い返せば東京五輪は船出から苦難の連続、採用決定後に白紙撤回した公式エンブレムと国立スタジアムのデザイン案は二転三転、度々の予算見直しを経て大会ボランティアは学徒動員、マラソンは札幌開催になるし台場開催のトライアスロンは水質汚染。トラブルに次ぐトラブルのオンパレードの極め付きが延期決定、日程調整から会場確保まで仕切り直しの白紙決裁、二の足を踏み続けた挙句に踏み荒らしたのは地団駄、まさに踏んだり蹴ったり躓いたりで七転八倒。
転んでもタダじゃ起こせぬオリンピック、不運な流行り病で開催できねば経済的に大打撃、カタカナで韻まで踏めば「ハードラックなパンデミックでエコノミックにビッグアタック」。ダメージを受けたのはマネージメント面だけでなく「東京五輪」の看板それ自体もまた然り、かつて中止になった一九四〇年から八十年後もこれだともはやいわくつきの開催地、もう向こう百年はなさそうだから子供たちにとっても最初で最後の東京五輪?
ともかく此度の延期によってアスリートたちは頭も予定も真っ白だろうが気持ちを真っ直ぐに保つのみ、スポンサーとマスコミの担当者が真っ青な顔で真っ先に取り掛かるのは予算会議に編成会議、出場者と関係者は白組と青組の真っ二つに分かれてコンディション調整とコンテイジョン調整の真っ最中、数年にわたって準備してきていれば土壇場でのお預けなぞ真っ平御免、悲しくてやりきれないのもわかるが真っ当な仕事を望むばかり。
なんだかんだでオリンピックは平和の祭典、一部の紛争地帯や貧困地域、難民問題を見れば平和と云うにも語弊があれど、戦争の影響で中止になった一九四〇あたりも踏まえりゃ人々が平穏に暮らせている時期に行われるべき。そう来年になったが名称は変わらぬ東京二〇二〇こそきっと平穏のありがたみを噛みしめる平穏の祭典!