【まくら✖ざぶとん】①③①『新語造語』トコザワ第➍巻
えー、歳月人を待たず、とはよく言う通り気がつけば五十席の間を空けての出番となるはこの御仁、前回はピンチの後に必ず訪れるチャンスのことを〈危機会〉と呼んで新しい兵法を啓発したトコザワ、日本語の起源から最先端まで網羅して言語の神髄を追求するべく挑戦するのは新語の造語。
政治用語からギャル語まで次から次へと新たな言葉が生み出される現代社会、なにかから派生したはずのそれらからまた派生させるのが手っ取り早いときたら、手はじめは最近の流行りで社会現象にもなっている「タピる」。文字通り「タピオカドリンクを買って飲む」ことを指すだけの言葉だが、短く縮めているはずの略語が〈幅を利かす〉のが流行語の特徴とな。
今風に半角にしてみた「タピる」の半濁音の濁りを取り払った「タヒる」の意味は見て字のごとく「死」やその一歩寸前、「百」から横棒を一本引いた「白」寿を九十九歳のお祝いとするなら「死」から横棒を一本引いた「タヒ」るが死にかけの状態を表すのも一理あり。「タヒ」と記せば記すほど「死」にしか見えなくなる現象は〈ゲシュタルト破壊〉の反対なら〈ゲシュタルト構築〉。
「ピ」から「ヒ」ときたら残すは全濁音の「ビ」、「タビる」は読んで字のごとく「旅に出る」ことになろうが、「タビ」は「タビ」でも「死」の一歩手前の「タヒる」が濁ったからには臨死体験。それまでの半生の走馬灯が巡り、中空から見晴らしたお花畑は桃源郷でもシャングリラでもなければ極楽浄土か、いつぞやのまくらの一席のように、天上山と地獄谷の間に流れる三途の川を行きつ戻りつしてから九死に一生を得てまさに黄泉がえること。
意識不明の只中、時間法則から滑り落ちたタイムスリップと宇宙空間を遊泳したスイムトリップで時空を超えてから覚醒して現世に生き返り、死に底あった死に損ないこそが「タビってた」ってわけ。
「タビる」の意味を定義できたら、使い方はこう。
「……ハッ(病床で目を開ける)…!!」
「やっと目ぇ覚ましたか。どこまでタビってきたんだよ」
「…遠い、遠ーいところまでいったな」
「長いことタビったもんだなぁ。そのままクタバルのかと思ったぜ」
「…クタバリャしなかったが、タビったら死ぬほどクタビレたわ」