【まくら✖ざぶとん】①⑦⑧『訃報祈念日』学者肌の論客 第➓回
未曾有の疫病が世界に蔓延しようとも著名人の不倫問題や薬物逮捕にから騒ぎする列島は相変わらず、流行り病の時世に増えた訃報は病死のみならず自死にも及び、ここ半年は著名人の訃報が相次ぐ異常事態。ここまで連鎖すると臆測に満たぬ邪推もしたくなろうものだが陰謀論は大暴論、根拠があろうとなかろうと軽はずみな物言いは避けましょう、というのが今日のお題。
それもそのはず年始の『神戸事変』でも触れた通り、いざ訃報が流れるや誰も彼もが一斉に「R.I.P」とご冥福を祈念ツイート、亡くなった実感もわかないうちに表された追悼に感情などこもるはずもなく、おざなりの定型文が拡散されるうちにあれよあれよと消化されてしまうのが現代社会の死亡報道。それが予想された死ならまだしも、病人や老人の自然死と青年や中年の突然死を並列に扱えてしまうことがなにより故人との無関係性を物語る。
無関係の他人であるから好き勝手に発信するか無関係の他人であるからこそ手前勝手に発信しないか、その断絶はつまり想像力の格差。人権の扱いを重くしようとする一方で人命の扱いが軽くなっていくような時代傾向はなんだか本末転倒、それと根っこが同じなのは問題化している誹謗中傷、どちらも想像力なき人間による軽はずみな発信であることに変わりなし。
そもそも想像力がないんだから「雄弁に黙る」ことになど思い当たるはずもなく、浅かろうが安かろうがその場その場で思い思いの思いの丈を垂れ流すだけ。その根は深いがゆえにありとあらゆるところに発芽顕現しており政治家も然り実業家も然り、然るべき沈黙を示せずに軽々しい発言で燃るべくして炎上するたび、人間の醜悪さがあぶり出されるばかり。
そうそう訃報といえば今年はスポーツ界の生けるレジェンドたちが次々と亡くなった厄年、籠球界の『神戸事変』のコービー・ブライアントにはじまり野球界は『ノムさん』こと野村克也氏、きわめつけが蹴球界からのディエゴ・マラドーナ。神様がペレなら天真爛漫に悪童ぶりを貫いたマラドーナがまさに魔神のごとき支配力でもたらしたのが本来あるべき追悼の形、故人への感情がこもった人々は定型文なんかじゃすまさずに行動を起こすもの。
訃報に対するとってつけたような追悼の意を示す定型文のつぶやきは名付けて「ツイートゥ」、てなわけでお後もどうかR.I.P!!