映画「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」感想
※前作と今作のネタバレを含みます。
※基本的に自分の話をずっとしています。性癖の話をしています。
※ジョジョと地面師たち、チェンソーマンのネタバレがあります。
年間新旧サブスク合わせて100本ぐらい見るゆるい映画好き。賛否両論別れていたため見るのを躊躇していた『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(2024年)を視聴してきました。公開からニ週間近く経っての視聴。躊躇していた理由は『ジョーカー』(2019年)が好きすぎたため、また恋愛ものだと思っていたからの2点でした。まさか続編が出るとは思いませんでしから発表があった時は困惑しました。そして恋愛ものが非常に苦手なので二の足を踏んでいました。
映画『ジョーカー』がどれだけ好きかと言うとホアキン・フェニックス演じるアーサー・フレックにガチ恋し、夢女になった。ジョーカーではなくアーサーの。しかしモンペスタイルであり、好きとか恋とかではなく彼の自己実現的行動に感涙し、拍手し、終始「よかったねぇ…」が抱いた感想であった。それでは続編ではどうだったか。結論、解釈完全一致。あまりに良かったのと、観客動員数が芳しくないと聞いてすかさずパンフレットを買って帰りました。本作の監督でもあるトッド・フィリップス監督のハングオーバーシリーズが大好きで、コメディを殆ど見ない私が好きな映画として思い入れがありました。その監督がシリアスで社会的にセンセーショナルな作品を生み出したのが前作の『ジョーカー』。
もともと映画『ダークナイト』が好きで、それはクリスチャン・ベール(出演作『アメリカンサイコ』『リベリオン』)が目当てで見たのだったが自分の中の映画ランキングを塗り替えるほどの大好きな映画だ。ヒース・レジャー演じるジョーカーは圧倒的な存在感で虜になった人も多いだろう。ロバート・パティンソン主演の『ザ・バットマン』なども好きで、『スーサイド・スクワッド』『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』『ジャスティス・リーグ』『ワンダーウーマン』『シャザム』『アクアマン』などのDC作品も見ていたりする。ヒーロー映画としてはMARVEL作品も好きで特に『マイティ・ソー』のロキが推しだったりするが、DCの方が暗くて人間の業について深く触れている作品が多いような気がする。つまり私好みなのだ。『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(以下、『ジョーカー2』)に触れる前に私のフィクションにおける理想の死について語っておく必要があるので簡潔に書いておきます。
理想の死というよりかは最高の死に様、性癖と書いた方がよいのですが、「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない」のボス、吉良吉影が原因です。無様に、主人公に華々しい死場を作ってもらえずに路上で死ぬ。これが性癖の大元です。それで吉良吉影を実写化する場合は北村一輝にやってほしかったんですよね。(まだ諦めていませんが…)それで、Netflixオリジナルドラマの「地面師たち」を最近見たのですが、北村一輝がシャブ中の図面師竹下役を演じていたのですが、これがまた最高の死に様で。主人公サイドを最悪のタイミングで裏切って追い込むんですが、その代償が豊川悦司演じる変態サディストのハリソン山中に蹴り殺されるんですよね。汚い廃墟で、誰も見ていないところで。しかも死んだあとも爆破されます。最高~~~!私の吉良吉影への重い感情が昇華された瞬間です。"最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュ"な死に様を目の当たりにして絶頂。私はハリソン山中だったのか…と思った瞬間でもあります。私だった。
映画や漫画、小説などのフィクションにおいて主人公側に感情移入することは珍しいのですが、私がヴィランキャラに感情移入しやすいのは主人公の精神的な強さを認めたうえで、それと同じぐらい強い存在だけどけして報われないところが好きなんですよね。負けヒロイン的な愛らしさ。そして今回の「ジョーカー2」のラストですね。法廷劇を経て自己実現をしたかのように思ったアーサーが、思ったよりもメンタルにダメージを受けてしまい、それでも人生は続いていくんだよな…ハハッ…と弱者ムーブしたタイミングで汚いアーカムの狭い廊下で、誰も見ていないところで、モブの三下に刺されて死にます。最高~~~~~!これこれ~~~~~!
はい、というところまでが私の性癖の話です。ここから映画を見て思ったことを比較的真面目な感じで書きます。
前作『ジョーカー』のテーマは、社会的弱者である主人公アーサーの変容と内面描写でしょう。コメディアンを目指すも才能がなく、母親からは「ハッピー」と呼ばれる空虚な生活を送っていた彼が、銃を手に入れたことをきっかけに暴力的な復讐へと向かう物語。
映画を見て思ったことをざっくりとまとめます。
ジャンル性:これは単なる犯罪映画ではなく、社会的弱者の心理を掘り下げた作品であり、アーサーが「ジョーカー」というペルソナを通じて自己を見出そうとする過程が描かれています。
ミュージカル要素:現実逃避の手段としてのミュージカルシーンが効果的に使用されています。アーサーが現実に直面できない場面で、これらの幻想的とも言える妄想だけで構成されたシーンが挿入されます。特にソフィから証言を受けた時、次に元同僚から証言を受けた時に強い精神的動揺を受け、暴力的な妄想が繰り広げられます。
ハーレイ・クインとの関係:彼女はアーサーではなく、「ジョーカー」というイメージに惹かれた知的エリートであり、アーサーの自己実現のためのカタリスト(触媒)として機能しています。
アーサーの自己実現:「強者」になることへの歪んだ憧れが主題でしょう。彼の「ジョーカー」としての姿は、社会から受容されたいという欲望の表れと解釈できます。
評価の分かれ目:本作は機能不全家族や社会的弱者のテーマを扱っており、観客の個人的経験により受け止め方が大きく異なるでしょう。エンターテインメントとしての側面と社会派ドラマとしての側面の両方を持ち合わせているため、評価が二分されたのではないでしょうか。私にはガッツリささりましたらから、世間の評価は当たらないとこもあるのだと思いました。
母親との関係性や虐待の影響など、トラウマの描写も本作の重要な要素です。これは単なるエンタメ作品を超えて、現代社会における疎外感や家族関係の問題を提起する社会派作品としての一面も持っていると感じました。
前半のイカレた前置きのわりに真面目にまとまりましたが、見終えてからすべてアーサーの妄想だとしてもおかしくないなとも思いました。アーサーがアーカムであんなに英雄的に扱われるはずもなく。早々に同じく妄想性の患者に刺されていて、あとはすべて走馬灯的妄想なのかもしれないと思いました。リーをちらっと見かけただけで全部都合のいい妄想だったら面白い。裁判も脱出劇も全部アーサーの妄想。そうだとしても私はこの映画を見てよかった。アーサーに出会えて良かったと拍手します。そして何よりも、ホアキン・フェニックスの素晴らしい演技に。