指導者から言われた忘れられない言葉#4
【教えるー教えられる】という関係性がある場合、
【教師ー生徒】、【上司ー部下】、【指導者-選手】という関係性ができるのが一般的だ。
誰しもが教えてもらう、ということを経験すると思うが、
誰しもが教えてもらうという過程で
忘れられない言葉や出来事があるはずだ。
大学時代の話
大学生の時に朝練を始めた。
大学1年時のインカレが地元の沖縄というのに、
試合になかなか出られなくて、
このままじゃだめだ、と思ったからだ。
毎朝7時過ぎにはコートに出て、
フットワークとか壁打ちとか、
一人でできることをやった。
自分一人のためのコートで、
自分が好きなことをやれて、
自分だけのためのトレーニングができる
その時間がとても好きだった。
大学1年の時から4年生になるまで続けたが、
1限の授業でハンドボールコートに来る
女子部の監督がよく声をかけてくれた。
そして、都合のいいように授業の手伝いをしていた。
転機
大学2年生まではプレイタイムは多くなかったが、
3年生になって試合に出ることが多くなった。
大切な試合直前というところで、
同じポジションの先輩がケガをした。
その先輩の代わりに出た試合で、
すこぶる調子が良かった。
そこからポジションが固定され、
私はスタートから常時試合に出るようになった。
あの試合、60分のプレイタイムで結果を残せたのは、
たまたまではなくて、
これまでの準備が肯定された瞬間だった。
呼び出し
研究室でビデオを見ていると、
女子部の監督が来た。
特に用事があるようには見えなくて、
なぜあの時研究室に来たかは謎だ。
しかし、
「銘苅、ちょっと来い」と研究室の外に呼び出された。
そして、
「銘苅、良くなってるじゃん。」
「どんな天才でもコツコツやるやつには敵わないんだ」
と言って戻っていった。
この時の私の気持ちがお分かりいただけるだろうか。
それこそ、天にも昇る気持ち、だった。
自分で決めた一人の時間。
何をすればいいのかもわからない。
正しいかどうかもわからない。
疑心暗鬼、暗中模索、試行錯誤、猪突猛進な
ただただ、藁にも縋る想いというか、
何かをせずにはいられなかった。
それが認められて肯定されて、
ただただうれしかった。
それこそ体中の毛細血管が開いて、
瞳孔が開いて、おまけに口も開く。
利害関係のない人の存在の大きさ
指導者に認められるというのが、
選手としてどれだけうれしいことか。
見ててくれる。
見ててくれる人がいるというだけで、
どれだけ心強いことか。
直接ハンドボールの技術戦術の指導を受けることはなかったが、
隣のコートにいつもいて、
何かしら気にかけてくれるその監督が、
心の支えになっていた。
いまとなっては、
腕を組みながらほほを触る
その人のしぐさが無意識のうちに出てくるほどだ。
まとめ
選手がいつ開花するのかわからない。
選手が取り組んできたものが、
いつ成果として出るのかはわからない。
ただ、その瞬間を待ち望んでいるのは、
選手だけではなく、指導者も同じだ。
だからこそ、指導者は選手を見ておかなければならない。
そして、自分の管轄以外の選手に対しても、
ハンドボールをする仲間の一人としての、
良き変化を促す一言をかけれらるようにしたい。
残念ながらその女子部の監督は、
いまは他界して会うことができない。
ただ、たった一度もらった年賀状に直筆で書かれていた
「銘苅、がんばれよ。銘苅、期待しているぞ」
の一文は今でも映像として私の中に残っている。