温泉とコーチングを強引に結び付けてみた
湯につかる。
というのが好きな日本人。
沖縄出身の私にとっては、
あまりなじみがないと言うか、
毎日のように湯船につかるという習慣はなく、
どちらかというとお風呂に入って湯船につかるというのは、
一つのイベントのように思える。
ふと、この湯につかるということとコーチングについて考えてみた。
質と温度が重要
温泉というのは、地域によって泉質が異なる。
地から湧き出ている水なのに、
「リウマチ・あかぎれ・神経痛などに効く」
なんて書いてあったりして、
それを読んでへぇーそうなんだと思いながら、
お湯につかるが、本当かどうかよくわからない。
ただ、明らかにぬるぬるしていたりして、
水が柔らかいとか「違い」を感じることもある。
ただ、泉質も大事だが、
温度も大事だ。
どんなに泉質が良くても、
「効能があります」と書かれていても、
ぬるすぎる温度だと人はおそらくお湯につからない。
そのお湯につかっているだけで、
体力を奪われてしまい、逆に疲れてしまうからだ。
泉質としてのポテンシャルが高くても、
温度が低いと、温泉としての価値はイマイチ上がらない。
逆に、水道水を引っ張ってきただけのお湯だとしても、
適温だと人はお湯につかる。
同じ「適温」ならもちろん泉質がいい方に入るだろうけども、
温度というのは極めて大事だということを忘れてはいけない。
温度を上げるにはエネルギーが必要
湯温を上げるにはエネルギーが必要だ。
ボイラーを炊いて、エネルギーをかけて、
湯温を上げていかなければならない。
これがまた大変な作業だ。
水というのは比熱が大きいので、
温まるのに時間がかかるのだ。
しかし、熱量を加えることをやめると、
それ以上に熱くなることはない。
熱量を与え続けないと、温度は上がらないし、
維持すらできない。
モチベーションにおいても同じこと
これはスポーツに置き換えても同じことが言えるのではないかと思う。
いくら泉質(ポテンシャル)が良くても、
温度(情熱)が低かったら人は魅力を感じない。
水道水を引っ張ってきた(雑草集団)としても、
温度(情熱)が適温であれば人は魅力を感じて選択をする。
あちこちで指導してて感じることだが、
ポテンシャルは最高なのに、
やる気が感じられなかったり、
ちんたらバカにしたようにプレイしていると、
持ったないと思ってしまう。
泉質はいいのにぬるい温泉のようだ。
逆にへたくそかもしれないけども、
全力で情熱的に取り組んでいるプレイを見ると、
こちらまで熱くなってしまうものだ。
もちろん、地中から湧き上がる温泉のように、
泉質もよくて、温度も高いのであれば最高だ。
それが、内発的モチベートができる選手、
という存在なのだろうと思う。
元々熱量があったはずなのに、
いつの間にか冷え切った集団を沸騰させるかの如く熱くするのは、
非常にエネルギーを必要とする。
文字通り、居心地の良いぬるま湯につかっている人間を
熱くさせるのはそれなりに大変なのだ。
だからこそ、指導者はボイラーの役割を果たして、
熱量を注ぎ続けなければならない。
もともと持っているものは間違いない。
のであれば、
あとは温めるだけで勝手に魅力を増すし、
人が選んでくれる。
火にかけて直接的に温めることも大事だし、
電子レンジのように分子同士をぶつけて、
お互いの熱量を上げていくことも大事だ。
もちろん、熱くなりすぎているのであれば、
少し冷ます、というのも、指導者が担う仕事の一つになる。
まとめ
一見したら温泉も水道水も分からない。
ただ、こちら側にも熱量が伝わってくる、
こちらの胸まで熱くする、というのは、
やはり熱量があるからできることでもあると思う。
指導者は選手の心を動かす。
熱くする。
選手は見ている人、応援してくれる人の心を動かす。
熱くすることができる稀有な存在でもある。
自分の好きなことをやりぬく。
それがどこかで誰かの熱量になる。
そんな素敵な連鎖はスポーツならではだと思う。
そして、そんな選手たちの熱量を感じて、
指導者も熱を帯びていく。
熱量やエナジーの循環が
生きる、活きていくことにつながるのだと。
ほぼ毎朝、アプリを使って音声配信をしている。
通勤通学の合間にでもご視聴くだされば。。。